、あれを聽いてゐて、僕は身《み》につまされて何んだか泣《な》きたくなるやうな氣がしたよ。」
「然うかい、君も然うなのかい、」と私は引取ツて、「工場の前も幾度《いくたび》通《とほ》ツたか知れないが、今日|程《ほど》悲しいと感《かん》じたことは是《これ》まで一度《いちど》もなかツた。其にしても君、僕等《ぼくら》の一生《いつしよ》も好《よ》く考《かんが》へて見れば、あの勞働者なんかと餘り違《ちが》やしないな。」
「然うさ、五十|歩《ぽ》百歩《ひやくぽ》さ」と、友は感慨《かんがい》に耐《た》へないといふ風《ふう》で、「[#「「」は底本では欠落]少許《すこし》字《じ》が讀《よ》めて、少許|知識《ちしき》が多《おほ》いといふばかり、大躰《だいたい》に於《おい》て餘り大《たい》した變りはありやしない。口《くち》では意志《ゐし》の自由《じゆう》だとか、個人《こじん》の權威《けんゐ》だとか立派《りつぱ》なことは云ツてゐるものゝ、生活《せいくわつ》の爲《た》めには心《こゝろ》にもない業務《ぎやうむ》を取ツたり、下《さ》げなくても可い頭も下げなければならない。勞働者勞働者と一口に賤《いやし》んだツて、我々《われ/\》も其の勞働者と些ツとも違やしないぢやないか。下らぬ理屈《りくつ》を並《なら》べるだけ却《かえ》ツて惡いかも知れない。」
 藝術《げいじゆつ》の價値《かち》だの、理想《りさう》の永遠《えいえん》だのといふことを、毎《いつ》も口癖《くちぐせ》のやうにしてゐる友としては、今日の云ふことは何《なん》だか少《すこ》し可笑《おか》しい……と私は思ツた。
「けれども……、」と友は少《すこ》し考《かんが》へて、「僕等は迚《とて》も勞働者を以《もつ》て滿足《まんぞく》することは出來《でき》ない。よし僕等の生涯《しようがい》は、勞働者と比較《ひかく》して何等《なんら》の相違《さうゐ》がないとしても、僕等は常《つね》に勞働者的生涯から脱《だつ》して、もう少し意味ある、もう少し價値あるライフに入《い》りたいと希望《きぼう》してゐる。生れて人間《にんげん》の價値をも知らず、宇宙の意味をも考へないで、一生を衣食《いしよく》の爲《ため》に營々《えい/\》[#ルビの「えい/\」は底本では「/\」]として浪費《らうひ》して了ツたら、其は随分|辛《つら》いだらうが、高《たか》が些々《さゝ》たる肉躰上《にくたいじ
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