に依《よ》ツてはこんなことを云ふ者《もの》もある。成程《なるほど》、一日《いちにち》の苦|闘《とう》に疲《つか》れて家《いへ》に歸《かへ》ツて來る、其處《そこ》には笑顏《ゑがほ》で迎《むか》へる妻子《さいし》がある、終日《しうじつ》の辛勞《しんらう》は一杯《いつぱい》の酒《さけ》の爲《ため》に、陶然《たうぜん》として酔《え》ツて、全《すべ》て人生の痛苦《つうく》を忘《わす》れて了ふ。恁ういふことが出來たら、其は嘸《さぞ》樂しいことだらう。併しこんなことが果《はた》して僕等に出來るだらうか、少くとも僕等はそんなことを爲《な》し得《う》る素質《そしつ》を有《いう》してゐるだらうか。何《ど》うして思ひもよらぬことだ。」と少し苛々《いらいら》したやうな調子で、
「あゝ孤獨《こどく》と落魄《らくばく》!之《これ》が僕の運命《うんめい》だ。僕見たいな者《もの》が家庭を組織《そしき》したら何うだらう。妻《つま》には嘆《なげ》きを懸《か》け子《こ》には悲しみを與《あた》へるばかりだ。僕は、病床《びやうしよう》を侍《ぢ》して[#「侍《ぢ》して」は底本では「待《ぢ》して」]看護《かんご》して呉《く》れる、優《やさ》しい女性《ぢよせい》の手《て》も知らないで淋《さび》しい臨終《りんじゆう》を遂《と》げるんだ!」
 私は默《もく》して只《たゞ》歩《あゆみ》を運んだ。實際《じつさい》何《なん》と云ツて可いやら、些と返答《へんたう》に苦《くる》しんだからである[#「である」は底本では「でかる」]。友の思想と自分の思想とは常《つね》に殆《ほとん》ど同じで、其の一方の感ずることは軈《やが》て又《また》他方《たほう》の等《ひと》しく感ずる處であるが、今《いま》の場合《ばあひ》のみは、私は直《たゞち》に賛同《さんどう》の意を表《ひやう》することが出來なかツた。其の生涯の孤獨といふ考には心《こゝろ》から同情《どうじやう》しながらも、猶《なほ》他に良策《りやうさく》があるやうに思はれてならなかツた。少くとも自分だけは、もう些ツと温《あたたか》な、生涯を送りたいやうな氣がしてならなかツた。
 ふと眼《め》を我《わが》歩《あゆ》み行《ゆ》く街路《がいろ》の前方《ぜんぽう》に向《む》けた。五六|間《けん》先《さき》から年頃《としごろ》の娘《むすめ》が歩いて來る。曇日《くもりび》なので蝙蝠《かほもり》は窄《すぼ》
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