ツたといふ嫌《いや》な噂のある家だ。其處に彼は、よぼよぼした飯焚《めしたき》の婆さんと兩人《ふたり》きりで、淋しいとも氣味が惡いとも思はずに住ツてゐる。そして家へ歸ると直に、澤山の原書を取ツ散かした書齋に引籠《ひきこも》ツて、書《ほん》を讀むとか、思索に耽るとか、設《よし》五分の時間でも空《むだ》に費やすといふことが無い。他《ひと》から見れば、淋しい、單調な生活である。
此の沒趣味な變人が、不圖《ふと》たツた[#「たツた」に傍点]一ツ趣味ある行爲を爲るやうになツた。といふのは去年の冬の初、北國の空はもう苦《にが》りきツて、毎日|霰《あられ》の音を聞かされる頃からの事で。風早學士は、毎日林檎を一ツポケットへ入れて來て、晝餐の時には屹度《きつと》其の林檎の皮を剥《む》いて喰ツてゐる。寒さの嚴しい日などは煖爐[#底本では「煖燼」の誤り]に※[#火偏に「共」、第3水準1−87−42、228−上段22]《あぶ》ツて喰ツてゐることもあツた。唯喰ツてゐると謂ツては、何んの意味も無ければ不思議も無いが、其が奈何《いか》にも樂しさうで、喰ツてゐる間、氣も心も蕩々《とけどけ》してゐるかと思はれた。子供で
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