臭く言葉半分に言い捨てて、とっとと奥へ戻ってしまった。
『お腹が減っているんですが、一口……』と思ったが、もう追いつかなかった。若者はぼんやり気の弛むのを感じた。
宿泊所と云っても、それは名ばかりのもので、貸家づくりの八畳一間きりの長屋だった。何んの目的のために、こんな貸家を宿泊所に潰したのであるか、その坊主の魂胆は言わずと知れている! 窓ガラスは破れ放題だし、畳はぼこぼこにほぐれていた。ペンキの剥げ落ちたドアに通じる路だけが、どうにか路らしく踏みにじられてある以外は、雑草が跳梁するままだった。恰もそれは雑草に埋れた破家《あばらや》の感じで、得体の知れない蔓草に窓も壁も蔽われて、更にこの宿泊所の陰鬱な零落者《おちぶれもの》の蔭を濃くするために、葉の繁ったアカシヤの木立が深々と枝を垂れていた。
若者は把手《ハンドル》の壊れたドアを開けて、薄苔の生えた土間に入って行った。忽ち蠅の群が、かすかな唸り声をあげて襲いかかった。
「ごめん下さい」
素裸の男が黙って顔をあげた。髭の濃い、だが穏かな面構の四十男で、ひどいトラホームを患っていると見えて、赤く爛れた脂っぽい眼付で、股の間に拡げた猿又
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