の多い十字路になって、その向い側の一角はアカシヤの深い木立に蔽われて、支那風の土塀にかこまれた正念寺だった。正面に黒い門が開いていた。門柱の一方には『無料宿泊所』の看板があって『お宿のない人、職のない人は遠慮なくお越し下さい』と、親切な添え書きさえしてあった。
 この寺院と斜《はす》かいになった十字路の角は、ロシヤ人の酒場《バア》だった。酒場と云ってもそれは、馬糞よりも下等な馭者や、もっとそれよりもひどい下層労働者達が、未製のカルバスや生胡瓜を噛って、安酒を呷ったり、牛の臓腑を煮出したスープを啜って飲み食いする劣等な飲食店であった。その店頭には蒲団の破目からはみ出たボロ綿みたいな髪の毛の小娘が、雑巾よりもひどいスカートから泥だらけの素足を投げ出して、馬鈴薯の皮を剥きながら、そのまま笊におッかぶさって居睡っていた。業慾そうな猶太《ユダヤ》系の赧ら顔の主人が、風の入りそうもない店の奥の薄暗いカウンターに、ボイルされた、ポテトーみたいに、湯気の吹きそうな寝顔を投げ出していた。
 若者は注意深くロシヤ人の酒場を盗み見ながら、そのまま瞬間の思案もなく正念寺の黒門に吸われて行った。門のなかはアカシ
前へ 次へ
全31ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
里村 欣三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング