るな」
血だらけの短刀が、支那服の手からさっと閃めいて、壁の腰板をぐさっと突通した。坊主はぴょこっと頭をかがめたかと思うと、そのまま逃げ出してしまった。後も見ずに!
坊主は、その後再び無精髭を覗けなかった。
酒場《バア》の主人は『赤』であるのか『白』であるのか、まるで見当がつかなかった。商売でさえあれば、一枚五厘にもつかない銅幣《ドンペイ》を五枚も投げ出せばそれで充分なスープを、たった一杯だけしか啜らないお客であっても、彼は因業な眼尻を細めて、にこついた。
大連から歩いて来たという男は、ロシヤ人をさえ見れば、女の臀に見惚れるように、その憂鬱な瞳に、憬がれの閃めきをちらつかせた。
彼は大連から飲まず喰わずに歩きとばして来て、その惨憺たる苦労にも懲りずに、まだこれから、地図だけで見ても、牛の鞣皮《なめしがわ》みたいに茫漠として見当もつかないロシヤという国へ線路伝いに歩きかねない意気込をもっていた。彼はこの二三日炎天の乾干みたいになって街中を歩き飛ばしていたが、何処でどう捜し求めて来たのか『カルバス』の行商をやっていたが、その売り上げの全部はこの赧顔の強慾な酒場ではたいてしまうの
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