自己である。知識の問題もかかる行爲的自己に關係して考ふべきであらう。そこで技術といふものの論理的構造を見なければならぬ。すべての技術は先づ自然法則を前提してゐる。如何なる技術も自然法則に反して存在することができぬ。この自然法則はいはゆる運動原因に關するものであり、因果の法則と呼ばれてゐる。ところで次に技術には目的が加はらねばならぬ。そこには目的原因があり、技術は因果論と目的論との綜合であるといふことができる。しかもこの綜合は客觀的に、技術的に作られたものにおいて現はれるのである。自然法則は客觀的なもの、目的は主觀的なものであつて、技術は主觀的なものと客觀的なものとの統一であると考へられる。かやうなものとして技術的に作られたものは表現的である。しかし技術における目的は單に主觀的なものであつてはならないであらう。單に主觀的な目的、單に肆意的な意欲をもつては、我々は何物も作ることができぬ。技術は却つて我々に單に主觀的な目的を離るべきことを教へるのである。技術における目的は客觀的なものでなければならぬ。しかしそれは目的原因としていはゆる運動原因とは異るものであり、單なる因果論によつては説明する
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