論理と直觀
三木清
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(例)概念のもとに[#「のもとに」に傍点]
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我々が物に行くのは直觀によつてである。これは如何なる物であらうとさうである。ただ物に行くといふのみではない、直觀によつて我々は物の中に入り、物と一つになるとさへいはれるであらう。故に知識といふものが元來何等かの物の知識である限り、如何なる知識も直觀に依るところがなければならぬ。直觀のない思惟は、如何に形式を整へるにしても、空轉するのほかない。直觀を嫌惡する論理主義者は、物を嫌惡するものといはれるであらう。論理はただ論理として價値があるのでなく、物に關係して價値があるのである。物に對して論理が押附けられるのでなく、むしろ物の中に論理が入つてゐるのでなければならぬ。しからば物の論理といふものには何等か直觀的なところがないであらうか。他方もとより直觀もただ直觀である故に尊重されるのではない、直觀に對する情熱は物に對する情熱でなければならぬ。しからばまた物の直觀には何等か論理的なところがないであらうか。
およそ論理には差
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