念は先験的綜合である。ギリシア哲学においては真の主観は発見されなかった。それを発見したのはカントの功績である。しかしカントの主観は世界に対してその外にある。歴史の世界においては主観がその中に入っていなければならぬ。物質的過程といわれる経済的生産においても人間がその中に入っている。弁証法はヘーゲルのいう如く「内容の論理」であるが、その内容というものの中には主体が入っており、弁証法は元来主体と客体との間に成立し、或いはむしろ主観的・客観的なものの論理である。歴史的世界において真に客観的なものは単に客観的なものでなく、却って主観的・客観的なものである。
 いま我々のいう形成説は存在を歴史的なものと見ることと結び付いている。歴史的世界の論理はヘーゲルが洞察したように弁証法である。アリストテレス的論理は形の論理であったが、弁証法も或る意味において形の論理であるということができる。しかしそれは先験論理の媒介を経た形の論理である。アリストテレスにおいて形は変化しないものと考えられたに反して、ここでは形も変化するもの、歴史的なものとして捉えられる。ギリシア的に見て、人間が生れたり死んだりしても人間の形相は生ずることも滅することもなく、永遠に自己同一に止まるとすれば、形相は現実の人間から抽象して考えられることができるであろう。しかるに歴史的に見ると、一人の人間と共にその人間の形は滅んで新しい形が生れ、一個の社会と共にその社会の形は滅んで新しい形に代られる。ギリシアにおいて生物の種は不変と考えられたのに対して近代の進化論は種の変化を説くように、形は歴史的なものとして変化し発展するものである。アリストテレスが運動を通じてつねに自己同一に止まるものを捉えようとしたに反して、弁証法は歴史の運動を形の変化として捉えるのである。弁証法は運動の論理である。運動は矛盾があるによって起る。「同一のものが同時にあり且つあらぬことは不可能である」というのがアリストテレスに依る矛盾律の表現であるが、この矛盾律は運動に適用されることができぬ、なぜなら物が運動するとは同一の点に同時にあり且つあらぬということであるから。物は、それが此の今には此処にありそして他の今には彼処にあるということによってでなく、却ってそれが同一の今において此処に且つ此処にでなくあるということによって、それが此の此処において同時にあり且つないということによって、運動するのである。「矛盾は一切の運動及び生命性の根源である。物は自己自身のうちに矛盾を有する限りにおいてのみ、運動し、衝動と活動を有する」、とヘーゲルはいっている。矛盾を容れぬ形式論理に対して、矛盾こそ物の生命的なものであるというのが弁証法の根本思想である。矛盾し対立するものは相互に否定することによって相互に媒介する。弁証法は否定による媒介の論理である。しかしながら弁証法を単に媒介の論理と考えるとき、それは反省の論理に止まって行為の論理とはならないであろう。行為は一方どこまでも媒介的であると共に他方どこまでも直接的なもの、直観的なものである。直接的なものが媒介的であり、媒介的なものが直接的であるというところに、行為があり、真の弁証法がある。弁証法は反省の論理でなく、現実の世界そのものの論理である。尤《もっと》も、我々の行為にとっても反省が必要である限り、ヘーゲルが抽象的な「悟性の論理」として軽蔑した形式論理も重要な意味をもっている。また我々の行為は客観的なものに関係付けられている以上、抽象的といわれる一般的法則の認識もそれにとって大切である。抽象的なものを軽蔑することは却って非弁証法的であるといわねばならぬ。弁証法は対立するものが一つのものであることを主張する。しかしながらこの同一性は形式論理の自同律にいう同一性とは異り、矛盾するものが止揚されて一つに綜合されるところに成立する。止揚という弁証法の言葉は、先ず無くされること、次に高められること、そして保たれることを意味している。矛盾するものは否定され、同時により高いもののうちに綜合されて保存されるのである。そこには否定の否定がある。しかも対立するものが一つであるということは、媒介的なものが直接的であり直接的なものが媒介的であるというところに成立するのである。また弁証法は矛盾の綜合における発展の論理であるが、この場合発展の意味は正しく理解されねばならぬ。普通に発展というと、自己のうちに含まれていたものが顕わになってくること、自己の内在的な本質が顕現的になってくることと理解されている。しかるにこの含蓄より顕現へという過程は、可能性より現実性への過程としてまさにアリストテレスがその論理によって捉えようとしたものであって、そこには何等矛盾というものはなく、従って弁証法はない。自己の実現するものは元来自己が可能的にあったものと同一であるから。アリストテレスにとって運動は可能性より現実性への過程を意味した。弁証法は単にかくの如き内在的な連続的な発展であることができない。そこには自己に内在的なものが同時に超越的なものであるということ、また超越的なものが同時に自己に内在的なものであるということがなければならぬ。自己から起る行為が自己に超越的な自己の存在の根拠である世界から起るものであり、行為は同時に出来事であるのでなければならぬ。人間の作るものが同時に人間を超えた意味をもっているのでなければならぬ。自己の本質として自己のうちにあると考えられる理性或いはロゴスが単に自己のうちにあるものでなく、却って物のうちに、客観的表現的なもののうちにあるものであり、このものに喚《よ》び起されて行為することが真に自己の内から行為することであるというのでなければならぬ。かようにして内在が超越であり超越が内在であるというところに弁証法はある。行為が同時に出来事であるということが歴史的ということであって、弁証法はかような歴史の論理である。

      五 知識の相対性と絶対性

 知識は普遍性と必然性即ち普遍妥当性をもつものでなければならぬ。さもないと真理とはいわれない。真理は普遍妥当的なものとして絶対的なものである。しかるに事実を見ると、かくの如き絶対的真理はむしろ存在しないのであって、甲が真理として主張することも乙は真理として承認せず、甲自身においても昨日真理と考えたことを必ずしも今日真理と考えるわけではない。かようにして事実としては普遍妥当的な絶対的真理の存在は疑わしく、むしろ否定されねばならぬであろう。そこでカントは事実の問題と権利の問題を区別する批判的方法によって、知識の性質を論理的に明かにしようとしたのである。この論理主義は、知識を心理的事実として見てゆく心理主義に反対する。心理主義によっては知識の本質、その普遍妥当性、その真理性を明かにすることができぬ。尤《もっと》も、論理主義は知識の普遍妥当性をただ形式的に明かにするのみであって、抽象的であるといわれるであろう。しかしながら知識の普遍妥当性に対する要求は我々の先験的な自覚に属するのであり、この自覚なしにはいかなる真理探求もあり得ないであろう。
 それにしても、事実としては、絶対的真理は存在しないようである。人により、処により、時代によって、真理とされるものは違っている。真理は絶対的なものでなく、相対的なものに過ぎぬように思われる。もしそうであるとすれば、一般に真理はなく、知識は可能でないといわねばならぬ。真理はその本質上単に相対的なものでなくて絶対的なものであり、知識は真理として単に主観的なものでなくて客観的なものである。かようにして相対主義は懐疑論になる。懐疑論とは普遍妥当的な知識は存在せず、従って真埋は存在しないという主張である。論理主義者は懐疑論を反駁して次の如く論じている。懐疑論者は真理はないと主張するが、彼はかように主張することによって彼のこの主張だけは真理であると考えているのであり、従って少くとも一つは真理があることを認めているのであって、さもないと彼が懐疑論を唱えることも無意味にならなければならない、それ故に懐疑論は自己矛盾である。この批評は形式的には正しいにしても、抽象的であることを免れないといえる。論理主義者も歴史的事実としては絶対的真理の存在しないことを認めねばならぬであろう。他方懐疑論者も彼がみずから考えるように懐疑的であるかどうか、疑問である。彼等は実際においてはむしろ常識に従って生活しているのが普通である。懐疑論が常識主義になっているのは歴史においてつねに見られることである。事実、すべては疑わしいという立場においては我々は生きてゆけないのであって、生きている以上、何か確実なものがあること、拠り所となり得るものがあることを認めているのである。懐疑論は真理はないと主張することにおいて自己矛盾であると批評されるが、懐疑論は何等主張するものでなく、却ってピュロンがいった如く、判断中止が懐疑論者の態度であるといわれるであろう。しかしながら判断中止によっては我々は行為することができぬ。行為するとは決断すること、意志決定をすることである。それ故に懐疑論はたかだか観想の立場において可能であるのみであって、行為の立場においては全く不可能であるといわねばならぬ。尤《もっと》も懐疑論という立場を離れて、懐疑そのものを考えると、懐疑には重要な意味がある。すべての知的探求は懐疑に始まるのである。これまで真理と信じられていたことを疑うところから新しい探求は始まり、知識の進歩が可能になる。我々が行為的であることから知識的であることに移るのは懐疑においてである。懐疑によって独断を破り、正しい認識を得るということは、行為にとっても大切である。懐疑は探求の動力である。しかしながら探求は懐疑によって促されるにしても、探求そのものは何等かの真理のあることを予想している。さもないと探求するということはおよそ無意味でなければならぬ。「もし我が汝に出会ったことがなければ我は汝を求めはしないであろう」、とパスカルはいった。絶対的真理があるとの自覚がなければ、知的探求は始まらないであろう。尤《もっと》も、懐疑論は経験を尚ぶところに重要性をもっている。古代の懐疑論も、近代の懐疑論も、経験に訴えて論ずるのをつねとした。純粋に思惟によって絶対的真理に達し得るとする合理主義に経験の立場から反対した点に、懐疑論の真理性がある。しかし懐疑論は経験の意味を深く理解しなかったために懐疑論に陥ったのである。特にそれは観想の立場に止まって、経験を行為の立場から把握しなかったところに誤謬がある。
 それにしても、経験的事実として知識が相対的であることは争われないように見える。相対主義には何等かの真理が認められねばならぬ。経験的に見るということも種々の意味があるであろう。論理主義に対するものは心理主義である。心理主義にも個人心理的見方と社会心理的見方とがあり得るが、いずれも発生的に考察するのである。論理主義者は自己の批判的方法を心理主義の発生的方法から区別している。発生的な見方は自然科学的な客観的な見方である。心理的に見るということもその場合自然科学的に見るということである。しかるに同じく発生的に見てゆくにしても、歴史的に見てゆくことはそれとは違っている。真に歴史的に見ることは単に客観的に見ることではなく、却って主体的に捉えることである。歴史的考察は心理主義と同じでない。歴史的なものは単に心理的なものではないのである。しかるに論理主義者は歴史的に見てゆくことをも心理主義の如く考えて一様に非難している。カントにおいては歴史的ということと心理的ということとが同じ意味に理解されている、彼はまだ歴史の本質について深い認識に達していなかったのである。
 しかるにまさに歴史が絶対的真理のないことを我々に教えるようである。知識はそれぞれの時代に相対的である。哲学にしても時代の子である。懐疑論も、絶対論でさえも、その時代の産物であるといわれるであろう。かように、すべてのものは歴史的に制約されていると考えるのが歴史
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