の変化に関わっている。古代社会には古代社会の、封建社会には封建社会の、近代社会には近代社会の、形がある。歴史とは形の変化にほかならない。歴史的範疇というものも法則でなくて形である。普通に歴史と考えられるのは人間の歴史であって、自然は人間の歴史の舞台であるといわれているが、自然は人間の歴史的行為にとって環境である。歴史的なものはすべて環境においてある。環境としての自然は自然科学において考えられるような客観としての自然でなく、それ自身すでに歴史的なものであり、表現的なものである。我々は環境から作られ逆に我々が環境を作ってゆく。人間は環境を変化することによって自己を変化する、環境を形成してゆくことによって自己を形成してゆく。形は主体と環境との作用的聯関から作られてくるものであり、従って変化するもの、歴史的なものである。環境における人間の行為はすべて技術的であり、形は技術的に作られてくるもの、技術的な形である。ここに環境というのは、単に自然のことでなく、社会や文化も我々にとつて環境である。
形は一方或る実体的なものである。形は単なる形式ではなく、内容を内から生かすものであってしかもどこまでも外のものである。形は物をその固有性において現わすのである。しかしながら形は他方或る関係的なもの、函数的なもの、機能的なものである。形は主体と環境との作用的聯関から作られてくるものとして技術的な意味をもち、機能を組織したもの、機能を表現するものである。形は働くものでなければならぬ。形は時間的に変化してゆくものであるが、単に時間的なものは形とはならず、形はまた空間的に固定したものである。それは時間的であると同時に空間的であり、生成と存在との統一である。かようなものとしてそれは歴史的なものである。一言でいうと、形は実体的であると共に関係的であり、形概念は実体概念と関係概念との統一である。
歴史的なものの認識は形の認識であるとすれば、認識が形成であることはこの場合特に明瞭であろう。形成という言葉はもと形に関係している。歴史は記述であるといわれるのも、形は究極において記述されるのほかないためである。自然科学のうちにおいても生命を取扱う生物学の如きが純粋な説明科学とならないで記述的であるのも、すべて生命あるものは形の統一をもっているのに依るであろう。説明と記述との相違は根本において関係概念と形概念との相違であるということもできる。形は全体性であり、創造的綜合として形成されるのである。形は環境と主体との作用的聯関から作られてくるのであって、環境的に限定されると共に主体的に限定され、一般的なものと特殊的なものとの統一である。従ってそれを分析的に見て、一般的限定の方向において捉えるならば、歴史的なものも説明されることができる。歴史学が単に記述的でなく説明的であろうとするのは当然である。しかし歴史的なものは、それをどこまでも一般的なものから説明してゆけばもはや歴史的なものでなくならねばならぬ。そのとき主体はただ環境から規定されたものとなり、主体の意味を失ってしまう。主体にはどこまでも自己が自己を限定するという自律的なところがなければならぬ。歴史的なものの支点はつねに形である。形は単に客観的に捉えられ得るものでなく、却って形は主観的なものと客観的なものとの統一である。歴史的認識は純粋に客観的であることができず、主体的認識でなければならぬ。歴史は内から主体的に認識される、従ってそこでは知性のみでなく情意の協同が必要である。型といっても形式論理における類概念の如きものでなく、類概念が客観的に構成されるものであるに反して、型は主体的に形成されるものである。自然科学の方法が説明であるに対して歴史学の方法が理解であるといわれるのも、同じ関係においてである。歴史的なものは表現的なものであり、表現的なものにおいては主観的なものと客観的なものとが、内部と外部とが一つである。それを認識する方法が理解であり、理解の方法の学問的に組織されたものが解釈学と称せられている。解釈は、外から内を理解することであると共に内から外を理解することであり、一般的なものから特殊的なものを理解することであると共に特殊的なものから一般的なものを理解することである。ディルタイが解釈学におけるアポリア(難問)といったかような関係は、単なる循環でなく、理解というものが弁証法的に対立するものの間における形成作用でなければならぬことを示している。理解そのものがひとつの形成的創造である。歴史的認識は主観的・客観的な作用として形成作用でなければならぬ。歴史は記述であるといっても、単なる模写でなく、構成的なところを含んでいる。尤《もっと》も理解とか記述とかということは多くの場合観想の立場に止まっている。しかるに歴史はもと行為の立場から把握さるべきものである。歴史のうちに一般的なもの、法則的なものを求めるということも、行為の立場において要求されることである。自然を変化するには自然の法則を知らねばならぬように、社会を形成してゆくにも法則の認識が必要である。歴史の認識は形の認識であるといっても、歴史学、或いは文化科学、或いは精神科学、或いは[#「或いは」は底本では「成いは」]社会科学と呼ばれるものが、一般的なもの、法則的なものを認識しようとすること、理論的であろうとすることを否定するのでなく、むしろ反対である。そこにも理論がなければならぬ。社会科学において歴史と理論とは区別されている。しかも歴史的な形は一般的なものと特殊的なものとの統一であるとすれば、歴史の認識が芸術とは違って科学的概念的である限り、歴史的な概念構成にとっても、一般的なもの、理論的なものは欠くことのできぬ基礎である。社会科学は歴史・理論・政策の三部から成るといわれるが、政策は特に明瞭に行為の立場を現わしている。政策においては一般的なものと特殊的なものとの統一が求められ、この統一は究極は形において与えられる。歴史・理論・政策は形概念において統一され、形から出て形に還ると考えることができるであろう。現実の行為にとっては形の構想が必要である。理論をそのまま行おうとするのは抽象的な公式主義であり、真の実践家は理論の一般性と現実の特殊性とを形において構想的に統一するものでなければならぬ。歴史記述において古くから型的な人間、型的な文化が絶えず目標とされたということも、多くの場合実践的な関心に基いている。ひとは過去の歴史のうちに現在の行為のための型を求めた、型は行為の模範的な形と考えられたのである。
形というものは、従来の哲学においては殆どつねに観想の立場から見られた。それが特に芸術に関係して理解されたのも、そのためである。しかし形に対する我々の関心は芸術的な関心に限られないであろう。天才とか英雄とか指導者とかと呼ばれる典型的人物、そのほか一般に歴史における典型的事実に対して人々がつねに深い興味を懐くということは、行為の形に対する彼等の実践的な関心を示すものである。形概念の見方は芸術主義と混同されてはならぬ。それはむしろ芸術をも、従来の哲学においての如く単に鑑賞或いは享受の立場から見るのでなく、形成作用の一つとして、広く行為の立場から捉えることを要求するのである。次にこれと関聯して、形概念の見方は単なる直観主義であるのではない。芸術の如きにしても単なる直観からは作られないであろう。芸術もまた技術である。すべて物を作るには知識が必要である。行為的直観は概念的知識に媒介されたものでなければならぬ。単に見るのでなく作るという立場に立つならば、一般的なもの、法則的なものの認識は形成作用にとって欠くことのできぬものである。結果は直接的なものであるとヘーゲルはいったが、直接的なものは媒介を経て出てきた結果である。
かようにして形概念は何よりも技術に定位をとるのである。技術にとっては先ず客観的な法則の認識が要求されている。科学は技術の基礎である。自然の法則に反して人間は何物も作ることができぬ。しかし自然の法則はつねに働いているにしても、この机、この椅子の如きものは森の中から出てきはしないであろう。技術があるためには自然の法則に人間の目的が加わらねばならず、技術はこの主観的なものと客観的なものとの統一を求めるのである。しかし主観的なものと客観的なものとの統一がただ頭の中で考えられるだけでは技術とはいわれず、技術はこの統一を行為的に実現するのである。技術は物を変化し、物を作る、技術は生産的である。技術によって作られたものはすべて形を有し、形は主観的なものと客観的なものとの統一を現わしている。あたかもそのように、あらゆる歴史的なものは主観的・客観的なものであり、形のあるものである。それは技術的に形成されたものである。文化も技術的に作られ、社会の制度や組織の如きも技術的に作られる。すべて歴史的なものは技術的に形成されたものとして、環境的に限定されると共に主体的に限定され、主観的であると同時に客観的なもの、一般的であると同時に特殊的なものである。歴史的認識は究極において形を目的とするところから、すぐれた意味において形成作用であるといい得るが、飽くまでも客観的であることを期する自然科学的認識でさえもが、右に述べたように主観的・客観的な形成作用と見られ得るというのは、元来それをも歴史的なものとして捉えるからでなければならぬ。自然も環境の意味においては単なる客観としての自然でなく、すでに歴史的なもの、表現的なものであり、自然の認識も、それを環境として生活する歴史的人間の行為として始まるのである。自然科学における主観も操作的であり、行為に媒介されるのでなければ、その求める客観性に達することもできない。また自然科学における法則も個々の事実から発見されるのであって、特殊的なものに媒介されるのでなければ、その求める一般性に達することもできぬ。しかし自然科学が客観的な一般的な法則を求めてゆくに対して、それを基礎とする技術に至って再び現実的に形に結び付くのである。技術によって生産されたものは主体から独立なものとなり、我々の生活にとって新しい環境となるのである。
ところで右の論述によっておのずから明かになったことは、存在論、認識論、論理学の統一である。アリストテレス的論理は形式論理といわれているが、それはもと単に形式的であったのでなく、形相を実在と見るギリシア的存在論と密接に結び付き、そしてそれは認識論においては模写説的立場に立っている。形相とは物の形をいい、イデアとかエイドスとかという言葉で表わされた。個々の人間は生れては死ぬる、けれども人間の形相は一にして同一であり、つねに変ることなく、すべての人間は人間である限りこれを具えている。形は物の本質、真の存在と考えられた。かようなものについては形式論理における矛盾律ないし自同律は単に形式的でない実質的な意味をもっているであろう。アリストテレスは矛盾律の定式において、それ自身としてそれ自身において限定され、両義性を排する、物における不可分の点に達しようとしたのであって、物におけるかような不可分の点とは物におけるイデア的なもの、形相にほかならぬ。また形式論理における推理、いわゆる三段論法において最も重要な位置を占めるのは中概念であり、推理においては中概念が自己同一に止まることが原則的に要求されている。かような中概念となるのは、アリストテレスに依ると、本質或いは形相である。「本質が三段論法の原理である」、と彼はいっている。しかるにカントの先験論理は、その認識論における構成説と密接につながり、その場合に考えられた存在は客観としての自然、法則的な自然である。カントはニュートンの物理学をモデルとしてその認識論を建てたといわれている。先験論理は形式的な論理でなく、「対象の論理」である。それは対象を構成することによって対象を認識するという立場に立っている。形式論理は与えられたものを分析してそのうちに含まれる本質を抽象してくる分析論理であるに対して、先験論理の根本概
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