ある。プラトンはその門に入る者に數學の知識を要求したと傳へられてゐるが、哲學の研究者はつねに特に科學に接觸することが大切である。古來哲學は科學と密接に結び附いて發達してきたのである。
この場合科學と哲學との橋渡しをするものとして科學概論といふものが考へられるであらう。科學もその方法論的基礎を反省する場合、その體系的説明を企※[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、459−9]する場合、つねに哲學的問題に突き當る。そこで科學概論の書物も立場の異るに從つて内容を異にするのは當然である。いま立場の相違は別にして、先づどういふものを讀めばよいかと尋ねられるなら、少し古いにしても、英語の讀める人にはピーアスンの『科學の文法』を勸めたい。日本のものでは田邊元先生の『科學概論』が知られてゐる。この方面における石原純先生の功績は大きく、忘れられないものである。また文化科學の方面ではディルタイの『精神科學概論』、歴史の方面ではドゥロイゼンの『史學綱要』といふ風に、いろいろ擧げることができるであらう。リッケルトの『文化科學と自然科學』は、ともかく明晰で、最初に讀んでみるに適してゐる。
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