と思ふ人には、英佛系統の哲學の研究を勸めたい。ドイツの哲學者でも劃期的な仕事をした人は、英佛の影響を受けてゐるものが多く、カントがさうであつたし、近くはフッサールがさうであつて、彼の現象學にはデカルトやヒュームの影響が認められる。その場合、入門的な書物としてさしあたりベルグソンの『形而上學入門』とかジェームズの『プラグマティズム(實用主義)』の如きを勸めたい。フランスとかイギリスとかアメリカとかの哲學の眞の意味は、日本では專門家の間でもまだ十分に廣く發見されてゐないのではないかと思ふ。尤も、どこのものであるにせよ、外國の模倣が問題であるのでないことは云ふまでもないことである。
五
哲學を學んでゆくのに、自分に立脚すべきことを私はいつた。それはただ單にいはゆる瞑想に耽ることではない。私のいひたいのは先づむしろもつと具體的に、諸君がもし自然科學の學徒であるならその自然科學を、またもし社會科學の學徒であるならその社會科學を、更にもし歴史の研究者であるならその歴史學を、或ひはもし藝術の愛好者であるならその藝術を手懸りにして、そこに出會ふ問題を捉へて、哲學を勉強してゆくことで
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