、そこになほ一定の類型的差別が存在するのであるから、自分に合ふものを見出すやうに心掛けるのが好い。その意味ですでに研究は發見的でなければならぬ。流行を顧みるといふことは時代を知り、自分を環境のうちに認識してゆくために必要なことであるけれども、流行にとらはれることなく、どこまでも自分に立脚して勉強することが大切である。そして先づ自分に合ふ一人の哲學者、或ひは一つの學派を勉強して、その考へ方を自分の物にし、それから次第に他に及ぶやうにするのが好くはないかと思ふ。最初から手當り次第に讀んでゐては、結局同じ處で足踏みしてゐることになつて進歩がない。他の立場に注意することはもちろん必要であるが、先づ一つの立場で自分を鍛へることが大切である。廣く見ることは哲學的である、同時に深く見ることが哲學的である。
ドイツは世界の哲學國といはれてをり、哲學を勉強するにはドイツのものを讀まねばならぬが、ドイツの哲學には傳統的に難解なものが多いといふことがある。英佛系統の哲學になると比較的やさしく讀めるであらう。やさしいから淺薄であると考へるのは間違つてゐる。ドイツの影響を最も受けてゐる現在の日本の哲學書を難解
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