ものもなく、絶對に惡いといひ得るものもない。或る人にとつては良書であるものも、他の人にとつては惡書であり得る。全く役に立たぬやうに見える書物から、才能のある人なら、役に立つものを見出してくることができるであらう。讀書の樂しみは、このやうに發見的であることによつて高まるのである。

       四

 哲學の書物は難解であると一般にいはれてゐる。この批評には著作家の深く反省しなければならぬ理由もあるのであるが、讀者として考へねばならぬことは、哲學も學問である以上、頭からわかる筈のものでなく、幾年かの修業が必要であるといふことである。そこには傳統的に用ゐられてゐる術語があり、また自分の思想を他と區別して適切に或ひは嚴密に表現するために新しい言葉を作る必要もあるのである。しかし哲學は學問ではあるが、フィヒテがその人の哲學はその人の人格であるといつたやうに、個性的なところがあることに注意しなければならぬ。從つて哲學を學ぶ上にも、自分に合はないものを取ると、理解することが困難であるに反し、自分に合ふものを選ぶと、入り易く、進むのも速いといふことがある。すべての哲學は普遍性を目差してゐるにしても
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