哲學はどう學んでゆくか
三木清
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、459−9]
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哲學はどう學んでゆくかといふ問は、私のしばしば出會ふ問である。今またここに同じ題が私に與へられた。然るにこの問に答へることは容易ではないのである。これがもし數學や自然科學の場合であるなら、どういふものから入り、どういふ本を、どういふ順序で勉強してゆくべきかを示すことは、或ひはそんなに困難ではないかも知れない。それが哲學においては殆ど不可能に近いところに、哲學の特色があるともいへるであらう。哲學は何であるかの定義さへ、立場によつて異つてゐる。立場の異るに從つて、入口も異る筈である。しかも哲學的知識には、端初が同時に終末であるといふやうなところがあるのである。それにしてもどこかに手懸りがなければ、およそ研究を始めることも不可能であるとすれば、その手懸りが何とか與へられなければならぬ。これはどこ
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