に求むべきであるか。立場の相違は別にして、およそ哲學といふものを掴んでゆく最初の手懸りは、どこに、どういふ風に探してゆくべきか。質問がそこにあるとして、私の乏しい經驗に基づいて、少し述べてみたいと思ふ。
一
いつも先づきかれるのは、哲學概論は何を讀めば好いかといふことである。何でも好いから一册だけ讀んでみ給へ、といつも私は答へるのである。といふ意味は、概論といふ名前に拘泥してはならぬといふことである。哲學概論と稱するもの、必ずしも哲學の勉強の最初の手引になるものではない。概論といつても哲學の場合、著者自身の立場が出てをり、著者自身の哲學への入門であつたり、著者自身の哲學の總括であつたりすることが多いのである。そのうへ概論といふもの、必ずしもやさしいとは限らない。世間には哲學概論と名の附く書物を幾册も買ひ込んで、それに頭を惱ましてゐる人があるやうであるが、愚かなことではないかと思ふ。哲學においては、概論書から入ることを必ずしも必要としないし、またそれが必ずしも最善の道でもないのである。初めに概論が讀みたいといふのなら、何でも一册でたくさんだといひたい。何でもといふのは
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