對話篇は文學としても最上級のものと認められてゐる。近代のものでは何よりもデカルトの『方法敍説』を擧げたい。これもまた哲學的精神を掴むために繰返し讀まるべきものであり、フランスの文學にも影響を與へた作品である。もし日本人の書いたものを擧げよといはれるなら、私はやはり西田先生の書物を擧げようと思ふ。
 もちろん古典であるなら、どのやうなものでも、そこに哲學的精神に觸れることができる。古典を讀む意味、解説書でなくて原典を讀む意味は、何よりもこの哲學的精神に觸れるところにある。精神とは純粹なもの、正銘のものといふことができるであらう。美術の鑑定家は、正銘のもの、眞正のものを多く見ることによつて眼を養ひ、直ちに作品の眞僞、良否を識別することができるやうになるのであるが、同じやうに書物の良否を判斷する力を得るためには、絶えず古典即ち純粹なものに接してゆかなければならぬ。書物の良否の本來の基準はこのやうに、純粹であるか否か、根源的であるか否か、精神があるか否かといふところに存するのである。もしそれが單に役に立つか否かといふことであるとすれば、書物の良否といふものは相對的であつて、絶對に良いといひ得る
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