の本質』も、重要なものではあるが、やさしいとはいへない。もちろん、場合によつては、難解な書物に直接ぶつつかつてゆくことも、意味のあることである。高等學校を卒業した夏、速水先生の紹介状をもつて京都に西田先生を初めて訪問した時、休みの間にこれを讀んでみよといつて先生が私に貸して下さつた書物は、カントの『純粹理性批判』であつた。その頃はまだこの本の飜譯も出てゐなかつたので、ドイツ語の辭書を引きながら、一生懸命に勉強したが、わからないことが多くて困難したのを覺えてゐる。その後桑木嚴翼先生の『カントと現代の哲學』が出たが、これも入門書として勸めたいものの一つである。
三
先づ必要なことは、哲學に關する種々の知識を詰め込むことではなくて、哲學的精神に觸れることである。これは概論書を讀むよりももつと大切なことである。そしてそれにはどうしても第一流の哲學者の書いたものを讀まなければならぬ。
そのためにあまり難解でなくて誰にも勸めたいものを一二擧げてみると、さしあたりプラトンの對話篇がある。そのいくつかは既に日本譯が出來てをり、英語の讀める人ならジョーエットの飜譯がある。プラトンの
前へ
次へ
全29ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング