して眼を開かれた。西洋哲學を研究しようとする者はキリスト教の知識を備へなければならないが、とりわけギリシア哲學を研究することが大切である。その研究は現代において特に重要な意味をもつてゐるのではないかと思ふ。西田先生の思想の如きも、先生がギリシア哲學に深く入られるやうになつてから著しい發展があつたやうに思ふ。哲學史に就いて思想の歴史的聯關を見ることは忘るべきではないが、更に進んで、自分で原典にあたつて研究することが大切である。原語で讀むに越したことはないが、たとひ飜譯であつても、古典は完全な形で讀むべきである。何でも原語で讀まなければ氣がすまぬといつて、そのために讀むべき本を讀まないでゐる人もあるが、愚かなことであると思ふ。絶えず古典に接することが大切であるといつても決して、新しいものを讀むことが不必要なわけではない。古典の中にばかり閉ぢ籠つてゐると、ひとりよがりになるとか、學問が趣味に墮してしまふといふやうな危險があるのである。古典も新しい眼をもつて見なければ生きてこないのであつて、それには現代の問題について深い關心がなければならぬ。もちろん古典をただ勝手に解釋すれば好いといふのではな
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