ではないかと思ふ。問題を發見することは既に半ば問題を解決したことであるといはれるが、大きな哲學はつねに大きな問題を提げて現はれてきた。これから哲學をやらうといふ人に期待されるものは大きく、それだけにまた大きな覺悟を要するのである。

       一一

 ところで如何なる創造も傳統なしにはあり得ないといふ意味において、哲學をやらうといふ者は絶えず哲學史を顧みなければならぬであらう。今初めて哲學史を見ようといふ人には、波多野精一先生の『西洋哲學史要』を勸めたい。もう少し詳しいもので、しかもわかり易いものを求める人には、フォルレンデルの『西洋哲學史』が適當であらう。ヴィンデルバントの『哲學史教科書』は問題史的な哲學史として特色があり、目を通さねばならぬ名著であるが、入り易いものとはいへないであらう。各時代についてはそれぞれ標準的な書物があるが、ここには煩瑣を避けて擧げない。またユーベルウェークの『哲學史』のやうな辭典として便利な書物もある。
 西洋哲學の源泉として重要なものは、近代科學を別にすれば、ギリシア哲學とキリスト教である。私自身は特に波多野先生の講義や談話によつてこれらのものに對
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