ひ讀まれねばならぬものである。内容のない思惟、何物かの分析でないやうな分析があるであらうか。しかしこれらの書物は特に我々を哲學的な思惟に對して訓練してくれるのである。これらの書物は讀み易いものではないであらう。難解なものにぶつつかつてゆく勇氣と根氣とが大切である。考へることを學ぶには解説書によつてはいけない。問題をその根源において捉へた書物と直接取組んで勉強することが肝要である。

       一〇

 論理といふものにもいろいろ考へられるであらう。今日わが國では誰も彼もが辯證法をいふ。辯證法には確かに深い眞理があるが、ただ、初めから辯證法にとりつかれると、マンネリズムに墮して却つて進歩がなくなるとか、折衷主義に陷つて却つてオリヂナリティが塞がれるとか、すべての問題を一見いかめしさうでその實却つて安易に片附けてしまふとかいつた危險があることに注意しなければならぬ。虎を畫いて狗に類するといつたことは辯證法には多いのである。學問において尊いのは外見ではなくて内實である。難かしく見えても、また深さうに見えても、根が常識を出ないのでは、學問の甲斐はないであらう。そこで私は、結局は辯證法にゆく
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