特色は「内面性」にある。親鸞の体験の深さはその内面性の深さである。彼の抒情の深さというものもかくのごとき内面性の深さにほかならない。
人間 愚禿の心
親鸞の思想の特色は、仏教を人間的にしたところにあるというようにしばしば考えられている。この見方は正しいであろう、しかしその意味は十分に明確に規定されることを要するのである。
親鸞の文章を読んで深い感銘を受けることは、人間的な情味の極めて豊かなことである。そこには人格的な体験が満ち溢れている。経典や論釈からの引用の一々に至るまで、ことごとく自己の体験によって裏打ちされているのである。親鸞はつねに生の現実の上に立ち、体験を重んじた。そこには知的なものよりも情的なものが深く湛えられている。彼の思想を人間的といい得るのは、これによるであろう。生への接近、かかる現実性、肉体性とさえいい得るものが彼の思想の著しい特色をなしている。しかしながら、このことから親鸞の宗教を単に「体験の宗教」と考えることは誤りである。宗教を単に体験のことと考えることは、宗教を主観化してしまうことである。宗教は単なる体験の問題ではなく、真理の問題である。〔欄外
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