親鸞
三木清

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)拘泥《こうでい》する

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)僧|毘尼《びに》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)拘※[#「目+炎」、408−上−9]弥《コーシャンビー》国に

*:注釈記号
 (底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)徴表である*。
−−

  一 人間性の自覚

 親鸞の思想は深い体験によって滲透されている。これは彼のすべての著作について、『正信偈』や『和讃』のごとき一種の韻文、また仮名で書かれたもろもろの散文のみでなく、特に彼の主著『教行信証』についても言われ得ることである。『教行信証』はまことに不思議な書である。それはおもに経典や論釈の引用から成っている。しかもこれらの章句があたかも親鸞自身の文章であるかのごとく響いてくるのである。いわゆる自釈の文のみでなく、引用の文もまたそのまま彼の体験を語っている。『教行信証』全篇の大部分を占めるこれらの引文は、単
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