Emil Brunner, Erlebnis, Erkenntnis und Glaube, 1923.〕真理は単に人間的なもの、主観的なもの、心理的なものでなく、あくまでも客観的なもの、超越的なもの、論理的なものでなければならぬ。もし宗教が単に体験に属するならば、それは単なる感情、いな単なる感傷に属することになるであろう。かくして宗教は真に宗教的なものを失って、単に美的なもの、文芸的なものと同じになる。親鸞の教えがともすればかくのごとき方向に誤解され易いことに対して我々は厳に警戒しなければならない。もとより親鸞の思想の特色が体験的であること、人間的であること、現実的であることに存することは争われない。そこに我々は彼の宗教における極めて深い「内面性」を見出すのである。しかし内面性とは何であるか。超越的なものが内在的であり、内在的なものが超越的であるところに、真の内面性は存するのである。内面性とは空虚な主観性ではなく、かえって最も客観的な肉体的ともいい得る充実である。
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五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の
功徳は行者の身にみてり
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