時体制の強化に対する障碍として犠牲にされたものである。もちろん、ソヴェートにおいてはこの準戦時体制の強化も間接には社会主義擁護の目的をもっているのであるが、しかし直接には準戦時体制と社会主義とは一致するものではなかろう。政治の固い論理が犠牲を要求したのである。しかも、もしこの犠牲の責任を問うとすれば、間接には世界のファシスト諸国にも責任があるといい得るであろう。
我々が知りたいのは、ソヴェート民衆が今度のような事件をいかに考えているかということであるが、それも言論の統制が完全に行なわれている国においては不可能なことである。革命以後すでに多くの歳月を経ているのであるから、教育の力によって、我々にはそのまま受取ることのできぬ政府の説明をもそのまま受取って安心しているように見える。どのような制度でも、一定の期間以上存続すると、その間にすべての人間をその制度に適したように作りかえることによって、維持力をいわば加速度的に増して来るものである。この点からいっても、今度の事件のためにソヴェート政権に大きな動揺が生ずるとは想像されない。
右は政治の論理である。しかしいずれにしても、革命の功労者の多
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