数が次から次へ倒されてゆくのを見ては、我々は政治の論理の非情性を思わずにはいられない。我々のヒューマニスティックな感情はそこになにか忍び難いもの、反発するものを感じるのである。個人は社会のために存在するというだけでは済まされない。ヒューマニズムの論理は政治の論理に一致し難いものがあり、そこに歴史の悲劇というものが考えられる。この悲劇はもとより単にソヴェートにおいてのみでなく、世界の到るところにおいて、過去および現在にわたって、見られることである。オプティミスティックな政治主義が考えるように、簡単にこの悲劇がなくなるとは想像され得ず、かえって悲劇は歴史の本質であるように思われる。政治の論理と人間の論理との一致を理想として歴史は限りなく悲劇を繰り返しつつ進んでゆく。ジードの『ソヴェート旅行記』のごとき、まさにそのことを示している。
 今日の世界の不幸は独裁政治であるというよりも政治の独裁である。独裁政治はむしろ政治の独裁の一つの形態である。戦争の危機を前にして政治の独裁は強化されるばかりである。かような政治の独裁が制御されねばならぬ、政治の独裁に対する批判的な力が強化されなければならない。
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