とくに思われるであろう。なるほど、私は偶像を再興しようとしている。しかしながら私の偶像は、伝統や権威やに屈従する心が無意識的にもしくは恐れ戦《おのの》きつつ建ててそれに自らを支配させようとするような種類のものでなく、素直な心が夢みつつ創造して自由な心からそれに自らを委せようとするような類《たぐい》のものである。それは自己の外に建てられるようなものではなくて、自己の魂の堂奥に建てられるものである。それは固定した形式をもったものでなく自由に成長してゆく生きた偶像である。
いうまでもなく謙虚にして剛健な心は、本質的に自由を求める。素直な心はあらゆる先入主見を一々自己の奥底へまで持来して吟味せずにはおかない正直さをもっている。利口な人、世故に長《た》けた人とふつう称讃されておる人たちを見るに、彼らは自ら少しの反省をなすこともなしに、人間はこんなもの、社会はこんなもの、女はこんなものなどと勝手に決めてしまい、そしてそれに協《かな》った幾つかの規矩準繩《きくじゅんじょう》を作って只管《ひたすら》にそれを実行しようとしておる。彼らの生活は要領のいいものであるが生命力がない、整っているが魂が欠けてい
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