るものにぶっつかってそれへの愛は私たちをまた夢みさせずにはおかないだろう。前者を私はイデアリストと呼び、後者を私はフマニストと名づける。前者はこの世のものを超越した永遠なるものを憧れ求めようとし、後者は醜悪なる人間性の中に宿る神性を見出そうという。もしまた誤解を招きやすい言葉をあえて用いるならば、前者の態度を貴族主義、後者の態度を民衆主義とも呼ぶことができるかも知れない。私は、いやしくもよき生活を生きんとするものは必ずイデアリストかフマニストかのいずれかでなければならないと思う。しかして彼らの生活態度に共通なものの多くの中で、私はいま特に空間的生活という特徴をみて私自身の徒《いたずら》に拡りゆかんとする心を警《いま》しめたい。彼らの一人は天上を仰ぎ憧がれ、他の一人は地下に掘り入って求める。それゆえに彼らの精神の活動の領域は単に拡りと幅とをのみもっておる平面ではなく、深さをもったところの空間である。かくして健康な魂の空間における旺盛な活動によき生活はそれの本質を見出すのである。
 夢や憧れや信仰について多くを語った私は、ここにかつて非常な勢いで破壊された偶像を再興しようとしておるもののご
前へ 次へ
全114ページ中97ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング