語られざる哲学
三木清

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)懺悔《ざんげ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)煩悩|熾盛《しせい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、底本のページと行数)
(例)よき[#「よき」に傍点]
−−

     一

 懺悔《ざんげ》は語られざる哲学である。それは争いたかぶる心のことではなくして和《やわら》ぎへりくだる心のことである。講壇で語られ研究室で論ぜられる哲学が論理の巧妙と思索の精緻《せいち》とを誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる哲学は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。語られる哲学が多くの人によって読まれ称讃されることを求めるに反して、語られざる哲学はわずかの人によって本当に同情され理解されることを欲するのである。それゆえに語られざる哲学は頭脳の鋭利を見せつけようとしたり名誉を志したりする人が試みない哲学である。なぜならば語られざる哲学の本質は鋭さよりも深さにあり巧妙よりも純粋にあるからである。またそれは名誉心を満足させるどころかかえ
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