ってそれを否定するところに成立するものであるからである。
 私のいま企てようとする哲学は、論理的遊戯に慣れた哲学者たちが夢にも企てようとは思わない哲学である。私は自己の才能を試みんがためにこれを書くのではなく、自己の心情の純粋を回復せんがためにこの努力をするのである。そしてこの努力が本当に成功するならば、私はこの一篇を書き終るとともに全く新しい性格の人として見出されるであろう。私は今年二十三である。すべてを ab ovo(始めから)に始めるために過去を食いつくしてしまわなければならない。私は私の半生の生活を回顧してその精算書を作ることを要求されている。そして私の精算書はつぎのようなふしぎな形式をとるであろう。私は自分が何をもっているかまた何をもっていないかを正直に知らなければならない。そしてそれの正当な認識はきっと私の虚栄心を破壊するにちがいない。けれど真に生きることはそこから始るのだ。私の努力が虚《むな》しく終るかあるいはよき実を結ぶか否かは私が本当に正直になりうるか否かによって決ることである。
 かつて私は同じような試みに悩ましいいく日かを送ったことがある。最初の試みは失敗して第二
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