たそれは巷に売らるべきものではなくて自己の中に蔵せらるべきものであるとしてみれば、私はこの問題について長い論述を試みることはさほど重要なことではないと思う。なぜならば第一に私は、歴史上多くの思想家によってしばしば互に反対し批難しつつ論ぜられたこの困難な問題に関して、すべての人が承認するか否かを問わないにしても、私自身の主張をそれらの反対や批難の唯中に持来して立入って論ずることは、勢い私を抗弁的ならしめて私の態度を不純にしはしないかを恐れるからである。しかのみならず第二に私は、この問題の解決は結局は合理的にではなく非合理的において、あるいは論理にではなく信仰において与えられ、しかしてかくのごとき生ける信仰は単なる概念的思惟によってではなく、実際によき生活を生きることによって得られるものであることを確信するがゆえに、私のように貧しく醜く生きて来た者がそれに関して長々しい論議をなすことは、畢竟《ひっきょう》無意味なことでもあり、また不遜なことでもあると考えるからである。私は私の病的なるものの中に微笑む健康への憧れのよきアーヌングに従ってへりくだる心を保ちつつ、つつましやかに私の思想の最も簡単
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