た判断を下した。一人はいう、「君は学究である、君から最初受ける感じはどうしてもプロフェッサーだ。」他の人はいう、「君の根本の素質は詩人だ。」あるいは一人は私を理性的だといい他の人は感情的だという。あるいは一人は私を利口な男だと考え他の人は向不見《むこうみず》だと思っている。また次の人はいった、「君は本当に伸び伸びと素直に育っている。」さらに他の人がいった、「君は全くフライ(自由)な人だ。」私は私に関してなされたこれらの多くの判断について、どれが正しく、どれが誤っているか、いずれがお世辞であっていずれが正直な批評であるかを区別することができない。そのどれでもが正しいようでもあり、またその悉くが誤っておるようにも思われる。ただ私が知っていることは、一個の個性はパラドキシカルな言葉を用いるならば一人の人間であって、同時に数人の人間として互に相対立し矛盾し衝突する心をもっておるものであること、個性はこれを分析したり抽象したり記述したり定義したりするときは、それの個性としての特質を失ってしまうこと、それゆえに個性の説明は終局は「AはAである」という同一命題以上に出でることができず、個性の評価はそ
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