した。あらゆる明るさが闇への方向を含んでおり、あらゆる色彩が黒への傾向を示しておるように、私の一切の経験が悉《ことごと》く悪によって染められておることを発見した。しかしながら罪を感ずる心はまたやがて神を求める心でなかろうか。罪悪深重、煩悩|熾盛《しせい》の私たちがあればこそいよいよ仏の大悲大願のほども知られるのではなかろうか。闇を闇として感ずる心は光を見た心である。罪を罪として知る心は必ず神を知れる心でなければならない。私たちの魂はイデアの世界に生れてイデアの世界を知っておればこそ、身は肉体の牢獄の中にありながらイデアの世界を憧れ求めることもできるのである。私の中に失われないであるすべてのものに驚き得る心、現実の憂愁の間にはるかなるものを微笑みつつ夢み出すことができる心、白髪の長く伸びた苦悩の中に生きている快活な幼な心、それらは悉く神の姿の象徴、少くとも神への憧憬として考えることができないであろうか。私たちが経験する世界にあまり多く存在する不合理や罪悪のゆえに私は神の存在を信ぜざるを得ない。私は自己の衷に深く感ずる必然の運命のゆえに永遠なるものを希求せずにはいられない。寂しみや悲しさや
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