れざる哲学の学徒のみがよき語る哲学の学徒たり得る。彼らの学問は恐らく地に這う葛《かずら》のように広く拡ることができても、天に向って雄々しく伸びてゆくことができないであろう。なぜならば学才を伸ばしもしくは深めることができるものはただ秀れた魂のみであることを私は信ずるのであるから。彼らが、しばしば起るように、堕落して、純粋な知的興味からでなく名誉心や好奇心から、あるいは少くとも習慣的に雑誌や書物の数を殖やしたり文献の量を増したりするようになれば、彼らは単にそれによって自己の魂を高めることができないばかりでなく、またそれがために後に出ずべき正しき研究の道を塞ぎもしくは同僚や後輩の有効に用いらるべき時間を浪費する。こうなれば彼らは意識せずして不道徳を行いつつあるのである。学者的良心はいかなる場合でも鋭敏でなければならない。
 魂の秀れたる哲学者とは永遠なるものに対する情熱の深き人々である。彼らの心は永遠なる理想や価値、真によき宗教や哲学や道徳や芸術や学問の憧がれとそれらに対する努力とにおいて喜びに盈《み》ち溢れつつ悩んでいる。彼らは外に向う心よりも内に還る心、人を教えようという心よりも自ら求め
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