した。そのものは私が幾分かでもまじめになって哲学を研究するようになってから生れたものであって、現に私の心の中で成長しつつあるものである。永遠なるものの存在、それによっての現実の改造の確信、私はそれを一般にこうした形式で現わすことができるかも知れない。価値意識の存在、それの経験意識の支配の信頼、それはこうした形に書き換えることもできるであろう。自由とは良心が自然的なる思惟活動、感情活動および意志活動を規定し制御してゆくところに存するものであるとするならば、それは自由の可能の確信という言葉によっても現わされ得るであろう。
文化的価値が自然的価値の中に次第に頭角を現わして行く過程を歴史と名づけるならば、一般に歴史的過程の存在の確信、しかしてそれの最後の完成への絶対の信仰こそ私の懐疑を退けた第三のものである。あるいはもっと通俗的な言葉を用いるならば、良心と理想との存在とそれの現実の規定力との確信が私がいわんとする当のものである。一度この確信が私の心に生れて以来、私は未来へのよき希望を失うことができなかった。たとい論理や経験やがいかほど反対しようとも、私のこの一度生れた信仰は決して破壊されない
前へ
次へ
全114ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング