だけの力をもって私の中に宿っておるように思われる。アリストテレスはいった、驚きから哲学は始ると。またデカルトは考えた、哲学の首途は懐疑であると。しかしながら私自身に関していえば、私は前にいったように決して懐疑的傾向に富んだ男ではなかったし、また人々が自明のこととして学問上許容している事柄に不審を懐くほど鋭い思索力ももっていなかった。私を哲学へ導いたものは、実に、永遠なるものに対する憧憬、プラトンがエロスとよんだところのものである。私の魂は永遠なるものの故郷に対するノスタルジヤに悩んでいる。私はたぶん私の思索生活の全体を通じて理想主義者としてとどまるであろう。私は樹から落ちる林檎《りんご》を見て驚異を感ずる心よりも、空に輝く星を眺めて畏敬の情を催す心をもって生れた。幸福なことには、私は美しき芸術を感じ、正しき真理に驚き、よき行為を畏れる心を恵まれていた。私の哲学はこの心から出発するであろう。そしてこの心が私をして子供のような無邪気さをもって闇の空にではなく大きな青空に夢み出させた。また私の純粋さはこの夢において保たれて来た。人々はよく私を現実を知らない夢みる人であるといった。私を包む青い
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