いっても過言ではないであろう。哲学の西田幾多郎、哲学史の朝永三十郎、美学の深田康算、西洋史の坂口昴、支那学の内藤湖南、日本史の内田銀蔵、等々、全国から集まった錚々たる学者たちがその活動の最盛期にあった。それに私が京都へ行った年に波多野精一先生が東京から、またその翌年には田辺元先生が東北から、京都へ来られた。この時代に私は学生であったことを、誇りと感謝なしに回想することができない。
 私には私ながらの感傷も懐疑も夢もある青春であった。大学時代、私は一年ほどかなり熱心に詩を作ったことがある。できるといつも谷川徹三に見せて批評してもらった。そのころ彼は有島武郎はじめ白樺派に傾倒しており、私も多少感染されていた。こうした私であったのに、学生としてなすべき勉強を一応怠らずにすることができたのは、前記諸先生の感化によるものである。
      *
 大学時代、私は書物からよりも人間から多く影響を受けた。もしくは受けることができた。そしてそれを私ははなはだ幸福なことに思っている。当時は学生の数も少なかったので、教授と学生との関係は今とは比較にならぬほど親密であった。ことに私は波多野先生や深田先生のと
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