都の文科は高等師範出身の者が圧倒的で、私のごときはまず異端者といった恰好であったのである。常時哲学専攻の学生は極めて少なく、私のクラスは私と同じ下宿にいた森川礼二郎との二人であった。私が変っていたとすれば、森川も変っていた。彼は広島の高等師範から来たのであるが、大学を卒業してから西田天香氏の一灯園に入ったという人物である。変り者といえば、私の高等学校の同級生で、遅れて京都に来た小田秀人などその随一で、大学時代には熱心に詩を作っていたけれども、しばらく会わないうちに心霊術に凝《こ》り、やがて大本教になったりしたが、なかなか秀才であった。やはり一高から京都の哲学科に入った三土興三も変り者で、私は彼において「恐るべき後輩」を見たのであるが、自殺してしまったのは惜しいことである。もし三土が生きていたなら、と思うことが今も多いのである。
*
現在の学生に比較して私どもの学生時代はともかく浪漫的であった。時代が波瀾に富んでいたのではなく、青春の浪漫主義を自由に解放し得るほど時代が平和だったのである。
二
当時の京都の文科大学は、日本文化史上における一つの壮観であると
前へ
次へ
全7ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング