高を出て京都の文科に入ったのであるが、京都に移っても忘れられなかったのは武蔵野の風物である。山や海よりも平野が私の気持にいちばんしっくりするように思う。
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京都へ行ったのは、西田幾多郎先生に就いて学ぶためであった。高等学校時代に最も深い影響を受けたのは、先生の『善の研究』であり、この書物がまだ何をやろうかと迷っていた私に哲学をやることを決心させたのである。もう一つは『歎異鈔』であって、今も私の枕頭の書となっている。最近の禅の流行にもかかわらず、私にはやはりこの平民的な浄土真宗がありがたい。おそらく私はその信仰によって死んでゆくのではないかと思う。後年パリの下宿で――それは二十九の年のことである――『パスカルにおける人間の研究』を書いた時分からいつも私の念頭を去らないのは、同じような方法で親鸞の宗教について書いてみることである。
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あの頃一高を出て京都の文科に行く者はなく、私が始めてであった。その後、谷川徹三、林達夫、戸坂潤、等々の諸君がだんだんやってきて、だいぶん賑やかになり仲間の学生の気風に影響を与えるまでになったように覚えている。私が入学した時分の京
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