ぐうじ》をしてゐた人の落魄してゐたのを引取つて、世話をしてゐたし、何《ど》んなに、ぴい/\してゐても、痩我慢一つで、押通してゐた。
 この親に、仕込まれたのだから、僕の痩我慢も、決して人後に落ちるものでは無い。恐らく、僕のいかなる友人でも、僕の父が、二畳と、二畳半の家に、未だに頑張つてゐることを知らないであらう。正月の「中央公論」「現代一百人」の中に、僕が卒業の写真(婦人公論、正月号に提出の物)をとつて、それを種に、洋服代をせしめたなど、僕の代々の貧乏を知らぬから出たゴシップで、そんな甘い手にのる親爺でもなければ、そんな余分な金など有るべき道理がない。第一に、僕は、入学当時から、洋服など着てやしない。

 第二期
 月二十円の学資だ。当時、それで、何うにか不自由ながら、やつて行けた。所が――こゝで、断つておきたい事は――今、僕には、名実共に、妻も、恋人も、一切の女人関係がない。嘘と思つたら、戸籍謄本を御覧になるといゝし、中本たか子女史と、同じ所に、食客をしてゐるから、中本氏に、僕が、旅行以外に(それは、毎月一度、父を訪問に、大阪へ行くのだ)外泊した事があるか、或は又、女が泊まつた事があ
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