弟も、この湯葉屑の弁当を、随分持たされたらしく見受けるが、僕のせゐであらう。その時分から、十歳|年齢《とし》の下の弟が生れたので、これを背負つて、夕方、母の代りに、本町《ほんちやう》から骨屋町《ほねやまち》へ、惣菜を買ひに行つた。
普通なら、僕の家では、僕を中学へはやれなかつたにちがひ無い。弟を大学へやる時には、父の力がつきて、弟は給費生として大学を出たのだ。だが、父は、自分の落魄してゐるのを、僕によつて回復しようとしてゐた。それは、僕の祖父が、郡山《こほりやま》藩の儒者だつたからであるし、僕が小学校に於いて、秀才だつたし、それから、四十の歳になつて生れた子だから、ひどく可愛いがつたのである。
そして、父は、僕の為に、二十五年間奮闘をしてくれたが、僕の奮闘も、今年で十七年になる。親の子といふものは、争はれぬもので、父も貧乏の顔色を見せるのは嫌ひであつたが、僕もさうである。それは貧乏人のひがみの一つであると同時に、又、意気でもある。隣りに金持があつたが、そこから何かくれると、きつと、それと同等のお返しをする。長州藩の家老|山県《やまがた》九郎右衛門、後に男山《おとこやま》八幡の宮司《
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