との間の露次を入ると、井戸のすぐ脇にあるのが、それである。二畳の玄関――それから、二畳半の奥座敷。それつきりである。
 いくら金持でも、物好きでも、合せて四畳半しか無い家には、余り住むことを欲しないものである。父は今年八十二歳になるが、五十年間、古着屋をして、かういふ家にゐたのである。
 だから、僕は、貧乏に慣れてゐて、貧乏の苦しさといふものを知らない。母親が、僕が、いくつの齢《とし》だつたらう――鶏卵を見せて、
「宗一、これが卵やで、御飯へかけて上げるから、たんと食べて、身体《からだ》を丈夫にせんといかんで」
 と云つて、熱い飯に、卵をかけてくれた。それから、間食をした記憶が無い。可成り大きくなつてから、八の日に立つ縁日に行く時二銭もらつた記憶がある。そして、何を買はうかと、縁日中さがして歩いて、何も買へないでとうとう戻つてきた。十二三からは、父の後方《うしろ》について、質屋だの、古着市へ行つて、父と二人で古着を背負つて戻つてきた。中学へ行くやうになると、毎日、油揚げの菜《さい》ばかりなので、
「湯葉が、たべたいな」
 と、いふと、母が、湯葉の屑を、風呂敷に一杯買つてきてくれた。僕の
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