首を振って
「然しね、お嬢さん、あっしを、先に、死なして下せえよ。これが、お頼みだ。万一、お嬢さんが、先だったら、あっしゃ、生きていねえが――こいつは、心中じゃござんせんでしょう」
「それは、その時の運次第、一緒に、死ぬかも知れないから」
「一緒にね――一緒に」
 庄吉は、微笑して
「さあ、来いっ、月丸。野郎、出て来いっ。何うどすうーってんだ」
 と、叫んだ。

「お頼み申します」
 と、深雪が、声をかけた。
「お嬢さん」
 南玉の声が、障子の内でした。
「師匠がいる――師匠」
 障子が開いて、南玉の姿が現れると同時に、深雪は、小太郎と、義観の、眼を見た。深雪は、膝のところまで、両手を下げて、義観にお叩頭した。
「これは、これは、さ、上るがよい。其処から上るがよい」
 義観が、笑って、声をかけた。南玉が
「月丸に、逢わなんだかい?」
 と、庄吉に囁いた。庄吉は、南玉の顔へ、鋭く眼を光らせて
「来たか、彼奴」
 深雪が
「いつ頃?」
「今しがた、未だ、その辺に、うろうろしているかも知れん」
 庄吉と、深雪とは、右を、左を、振向いた。杉木立ばかりであった。部屋の中では、義観が、小太郎に、何か云っていた。小太郎は、俯向いて、手を膝に、頷いていた。
「そして、師匠、若旦那は、月丸を、見逃しちまったのかい」
「うむ」
「何うして? 何うしてだい。そんな法ってものがあるけえ。野郎、何っちの方角へ、行きゃあがった」
「大きい声するな」
 南玉が、低く叱った。
「するなって、そんな法があるけえ」
「ま、上るがいい」
「いやだ。俺《おいら》あ、その辺、捜して来らあ。お嬢さん、何うなさいます」
「兄も居りますし、和尚様にも、一度、挨拶をしてから――」
「じゃあ、貴女は、そうなさいまし。あっしゃあ、捜して来る」
 庄吉が、行こうとした時、南玉が
「待てったら、庄吉」
 と、叫んだ。その途端
「捜さずともよい」
 義観が、声をかけて
「今に戻って来る」
 南玉が、振向いて
「ええ? 戻って参りますかい」
「ああ来る」
 義観は、頷いた。
「上って、待っているがよい。行きづまりの方へ行ったから、追っつけ、戻って来る。討てん時には、討てんが、討てる時になると、向うから、討たれに来る」
 庄吉が、小声で
「成る程、この坊主あ、悟ってやがらあ」
 と、呟いた。小太郎が
「深雪、ここへ来て、お礼を申せ」
「はい」
「一度は、身体の命を救ってもらい、今又、心の命を救ってもろうた。よく、お前からも、お礼を申してくれ」
 庄吉は、縁側に腰をかけて、片手で、草鞋の紐を解きながら
「心の命?――何んですい、それは?」
 と、俯向きながら、云った。南玉が
「心とは、これ、十方を通貫して、無色、無声。剣道で申さば、所謂八方破れの構え。技を超越して、敵の動きにより千変万化――確か、そうでござんしたねえ」
 と、振向いた。
「今度あ、一番、高座で、びっくらさしてやるんだ」
 庄吉が、紐を解いて上りかけながら
「師匠は、生きて戻るつもりかい――俺あ、死ぬんだ」
 と、呟いた。

 挨拶が終ると、小太郎が
「益満は?」
「浪士方と、お忙がしそうでござります」
「何も聞かぬか」
「何か、江戸に、騒ぎを起して、公方様から兵を出させ、薩摩と、長州と、水戸とが連合して、東西から、江戸を衝く、というような――」
「薩摩では、誰々が、来ているな」
「伊牟田、有村、有馬、奈良原と申しますような方々が、お見えになります」
「成る程、軽輩の、暴れ者ばかりだのう」
 義観が
「天下が、苦しくなっているから、上の者は、金が無いと動かぬし、動けぬし、下を動かすには、上に金が無く、上の進退|谷《きわ》まっている時には、必ず下から動くものじゃ」
「下には、英才がおりますから――」
「英才は、いつでも、動くところに生じる。英才がいて、天下を動かすのではなく、動くと、動くところに英才が出て来るのじゃ。人の能力は、下と上と、さまでの相違は無い。上にも、英才はいるが、上は動けん。動きの無いところ、英才がおっても、才の発揮がでけん」
 庄吉が
「野郎、現れて来ねえな」
 と、呟いた。深雪が
「父上の、お墓は?」
 と、小太郎を見た。
「すぐ、このお堂の後方にある」
「今の間に、一寸、詣って参りたいと存じますが」
「詣って来るがよい」
 深雪が、膝を動かすと、義観が
「月丸は、墓のある方へ参ったが――」
「ええ?」
 と、低く叫んで、深雪は、膝をおろした。そして、小太郎の顔を見た。
(追っかけて、討ちましょうか)
 と、いう瞳であった。庄吉が
「あっしが、先に、捜して参りやす。この裏でげすな」
 と、半分立ちながら、義観に聞いた。
「そうじゃ」
「一寸、待っていておくんなさい」
 庄吉が、立上ると、南玉が
「待て」
 と、同じように立って
「お前、彼奴あ、狂人のようになっているんだからの。もう、さっき和尚さんに、斬りかかったり――」
「心配すな」
 庄吉は、縁側へ出ていた。
「だって、お前、斬られりゃあ、犬死だぞ。何をしやがるか判らねえんだから。野郎の、現れ出るのを待って――」
「江戸っ子は、気が短えや」
 庄吉は、そう云って、跣足《はだし》のまま、縁側を降りて
「堂の後方って、この堂は、ずんべらぼうじゃあねえか。何っちが、師匠、後方なんだえ?」
「山の方だろう」
 庄吉は、崖を降りて、堂の屋根越しに、山を見ていたが
「後方は、行きどまりの山じゃあねえか。若旦那、何っちですい」
 と、左右を見てから
「こっちだな」
 と、呟いて、右手の方へ歩き出した。
「兄様、大丈夫でござりましょうか」
「月丸も、まさか、血迷いはすまい」
 南玉が
「待て、庄公」
 と、云って、同じように跣足で、飛び出して行った。

「お兄様――二人に、もしものことが、ございましては」
 小太郎は、深雪へ、振向いて
「わしに、力を貸せ、と申すのか」
「はい」
 と、答えて
「悪うござりますか」
「悪い」
 深雪の眼に、険しい表情が閃いた。だが、すぐ、その眼を、膝へ落して
「もし、二人に、万一のことが、ございましたなら、妾《わたし》ら二人は、あれだけ世話になっておりまして、世間へ、顔向けができませぬ」
「何故、月丸を討つ?」
「姉の仇敵《かたき》でござります」
「妹の仇敵を、兄が討てるか。仇敵|討《うち》の法に、目下《めした》の仇敵を討つことは、禁じてあるぞ」
「はい」
 深雪は、暫く、黙っていたが
「妾が、討ちます」
 顔色が、少し、蒼白めていた。
「成る程」
 と、義観が、笑って
「えらい」
 深雪は
「討てぬかもしれませぬ。その時は――」
 と、云って、両手を、義観へついて
「父と共に、埋めて頂きとう存じます」
「ああ、よいとも」
 義観が、頷いた。
「お兄様、お別れ申します」
 小太郎は、何んともいわずに、腕組をしていたが
「脇差を持って参れ」
 と、云って、佩《はい》していたのを、手渡した。
「有難う存じます」
 深雪が、立上った。義観が
「やれ、今日は、念仏に、忙がしいぞ」
 と、呟いた。深雪は、縁側へ出て、左の方を、じっと、眺めていたが、裾を折って、帯へはさんだ。そして、脇差を差して、草履の無いのに、一寸、躊躇していたが、すぐ、跣足のまま、急ぎ足に――二人の方へ、振向きもしないで、去ってしまった。
「一切|有縁《うえん》を放下《ほうげ》して、八方空」
「心のままに、働けまする」
 小太郎が、微笑した。その瞳を、じっと、義観が、凝視めていたが、頷いて
「助力してやるがよい」
 と、云った。
「はい」
「助太刀にも、いろいろとある」
「心得ております」
「剣をもってか」
「いいえ」
「言葉でか」
「いいえ」
「然らば」
「月丸、自ら、月丸を裁く」
「出来たっ」
 義観が、叫んだ。
「そうなくてはならん。よく、到った。それでよい」
 義観が、頷いた。
「では――」
 小太郎は、右手に置いてある刀を取ろうともしないで、礼をして、立上った。
「どうれ、わしも、見物に参ろう。茶でも飲んでから、ゆっくりとの」
 義観は、次の間へ、出て行った。小太郎は、縁側へ出たが――そして、耳をすましたが、何んの声も、何んの音もしなかった。そして、自分の心も、この山の中と同じように、澄んでいて、動かなかった。そして、その底に
(三人とも死にはしない)
 と、いうような信念があって、少しも、心が乱れなかったし
(死んでも、何事でもない)
 とも、感じていた。

(何が、怖いんだ、何が――)
 と、庄吉は、自分へ、叫んでみた。だが、心臓が、昂っているし、時々、溜息をしなくてはならなかった。
(若旦那は、一体、何を、まごまごして、落ちついてるのだろう。薄っ気味悪い坊主の前で――何んだ、あの坊主は?)
 庄吉は、足許を、気づかいつつ――墓を捜しつつ、歩んだ。
(野郎、うまく欺して、お嬢さんのところまで、引っ張って来りゃあ、いくら、若旦那だって、まさか、捨てておけめえし――もし、捨てておきゃあ、その時は――)
 と、自分の命をすてることを考えたが、それは、深雪と、二人でいて、そう決心した時ほど、強くは感じなかった。そして
(万一の時には、小太郎が――)
 と、思った。
(捨てちゃあ置かれねえことなんだから――命にかかわるんだから――)
 捨てておくべきことでない、と、庄吉は思ったが、小太郎の態度を思い出すと
(もしかしたなら)
 と、いう懸念が、起って来た。
「なあに」
 と、口へ出して
「人間二度たあ、死なねえんだ」
 と、云った時、草の上に、ちらっと、墓石らしいものが見えた。
(あれが、墓だな)
 と思った時
「庄吉」
 と、南玉の声がした。
(若旦那の言伝《ことづ》けでも聞いて来たんじゃあねえか――)
 庄吉が、立止まった。南玉は、深い草の中を、裾まくりしつつ、近づいて来て
「居ねえの」
「うむ」
「戻って、お前、待つことにしたら」
「あの坊主、何を、抜かしゃあがるか、行きどまりだって、何処が、行きどまりだ。あれが、大旦那様の墓だろう」
 庄吉が、指さした。
「あれかい」
「墓だろう」
 二人が、じっと、眺めた時、墓の下から、人影が、さっと、立った。南玉が、一足退った。庄吉が、短刀を握りしめた。そして
「畜生っ、びっくり――」
 と、呟きかけて
「月丸だ」
 と、云った。若い侍姿で、いい男らしかった。
「告げて来よう」
 南玉が、囁いて、庄吉の袖を引くと、月丸が、じっと、二人の方を見た。
「野郎――墓へ詣ってたんだぜ」
「じゃあ、月丸と、ちがわあ」
「若い、いい男だぜ、師匠」
「だって、お前、月丸が、大旦那の墓へ、参るかえ」
「そうだのう――あれえ、泣いてるぜ。あの眼――」
 月丸は、俯向きつつ、歩みだした。
「聞こうじゃあねえか」
「ちがうよ、よしな」
 南玉が、袖を引いた時、後方から、草に摺れる音が、近づいて来た。振向くと、深雪であった。そして、それと、同時に、月丸が、深雪の方を、ちらっと、見て、佇むと、じっと、深雪を、凝視めた。そして、そのまま、三人の方へ、歩き出して来た。
「庄吉、大変だ」
 と、南玉が、叫んだ。

「月丸だ」
 庄吉は、呟くと、二人の前へ出て、月丸の来る方へ、歩き出して
「お訊ね申しやす」
 と、叫んで、頭を下げた。南玉が
「お嬢さん」
 と、云って、逃げろ、と、合図した。
「いいえ」
 月丸は、庄吉に、答えもしないで、どんどん、近づいて来た。
「お訊ね申します。貴下様は、もしかしたなら、百城月丸様では?」
 月丸が、じろっと、庄吉へ、眼をくれたまま、近づいて、深雪に
「綱手殿の、お妹御ではないか」
 と、云った。
「はい」
 そう、はっきりと、答えはしたが、深雪の顔色は、蒼白で、手も、膝も、顫えていた。庄吉は、懐の短刀の鯉口を切った。
「よう似ているで、もしかと、存じたら、矢張り」
 月丸は、頷いた。深雪は
(何を、泣いて?)
 と、月丸の、薄紅の眼瞼を見た。そして
(話のようにいい男だが、この顔ゆえに、姉様が――)
 と、思う
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