いるか」
「三樹か」
「三樹三郎が、捕えられた。今、聞いて参ったが、京都の天地は、今にも、覆《くつがえ》りそうだぞ。おもしろうなって来たわい」
と、いって、酔っているらしく、刀を、どんと畳の上へ、響きを立てて、突立てた。
[#天から3字下げ]おなあーじ、ツンテン
庄吉は、大きい声で、歌を唄いながら、湯殿へ入ってきた。その後方から、南玉が
「根に出た朝顔が、かね」
[#天から3字下げ]蔓の先にて、いがみあい、テンシャン
湯殿の中も、湯槽の中も、湯気と、乏しい光とで、薄暗かった。庄吉は、唄いながら、戸棚の上へ着物を脱ぎすてて、右手の切口へ、手拭を、巻きつけて
「御免よ」
と、湯槽の中へ降りた。黒の人影が、うごめいていて、話が、立籠めていた。南玉が、庄吉のあとから
[#ここから3字下げ]
ぽこぺっぽ、ぺっぽっぽ
風呂は、鉄砲で、ぺっぽっぽ
船は、黒船、おそロシヤ
はい、皆様、御免なさいっ
[#ここで字下げ終わり]
一人が、南玉を、すかして見て
「お早い、お着き様で――お前さん、江戸の衆ですかい」
と、聞いた。
「はいっ、はいっ、はい、はい、はい、左様でござい」
「一寸、お訊ねしてえが、江戸は、大丈夫でござんすかの」
「え、え、え? 大丈夫とは、そも、これ如何に」
「いえ、黒船が――」
「あっ、その話か、猫、鳶に、河童の屁だ」
「と、申しますと」
「一寸、お顔を、見せてみな」
「ははあ、人相を見て、それで?」
「成る程、多少、延びているな」
「旅のことで、多少は」
と、云って、男は、頤《あご》を撫でた。
「ははは、いよいよお延び奉ってやがるな」
南玉が、湯にかかりながら、喋っているのを見て、庄吉が
「あんな噂は、お前さん、何んでもござんせんよ、交易をしたいってんで、やって来やがるっんで」
「交易って、貴下《あんた》――」
「おいでなすったね」
と、又、南玉が口を出して
「交とは、それ、交合の交、交際の交、陰陽相交わるの形であって」
「取引さ、日本と、商売がしてえって」
「易とは、これ、八卦屋の漢語だ。唐では、八卦見のことを、易家というな。八卦屋が、二つに分れると、四《よ》い屋《や》になって、四い屋と、八卦屋とが合併すると、ハッケヨイヤ」
「うるせえな、師匠」
「師匠が二つに分れると、既ち二升、冠婚葬祭、総て、酒は二升ときまっている。物の道理は、恐ろしい」
「わしの娘が、江戸へ嫁《かた》づいておりますので、そいつが心配で、心配で」
「ああ、あの娘は、お前さんのか」
「御存じで?」
「江戸の娘なら、大抵、知っている」
「いいえ、嫁で」
「嫁なら、猶詳しい」
「お父っあん、こいつあ、狂人だから、相手にしなさんな。江戸は、心配することはないよ、黒船が来たって、交易のためで、何も、人を取って食おうの、何んのって、そんな――」
と、いった時、入口から
「庄兄い」
と、いう声がした。
「誰でえ」
「俺だ。仁吉だ。軒下の笠を、見かけたんで、飛んで来たが――」
「判ったか?」
「うむ、牧って人あ、大阪へ行っての、お国許から、戻りの、御殿様に逢ったってまでは判ったが、それから先が、判らねえってことだよ」
庄吉は、湯槽から出た。
「若旦那」
庄吉は、浴衣の前を押えたまま、入って来て
「今、仲間の若い奴が」
と、云いかけると、小太郎が
「仁吉か」
「お聞きになりましたか」
「いいや、すぐ、お前のところへ行ったが」
深雪が、じっと、庄吉の顔を、眺めていた。庄吉は、片手で、帯を巻きながら
「牧の野郎のことでござんすが、仁吉の云うにゃ、大阪で、斉興さんに、逢ったらしゅうござんすが」
小太郎が、頷いた。
「それから、何うしたか、野郎、一向に姿を見せませんが、多分、蔵屋敷の中に、おるんじゃないかって、こういう知らせで、ござんすが」
「忝《かたじけ》ない」
「それで――」
「それで、判っておる」
「お判りになりますかい、行く先が?」
「うむ」
「何うして?――何うして、判ります?」
「叡山で、待てば、よいであろう」
南玉が、入って来て
「おお、暑い」
と、云って、肌脱ぎのままで坐った。そして
「矢張り、道中は、庄吉をお連れになった方が、ようがしょうがな」
「何うして、お判りになります?」
「それはの、聞くところによると、兵道家は、修法場を汚された時には、その汚れを払い、諸神に、謝罪するため、三倍の修法を、その場所にて致すものであるそうだ。牧が、大阪へ行った以上、父のために汚された叡山へ行くのは、必定だ。ただ、すでに行ったその戻りに寄ったのか、これから行くのか、もし、すでに行った後とすれば、恐らく、牧は、大阪を立てば、国許に戻るであろう」
「成る程な」
庄吉は、俯向いて、呟いた。南玉が
「講釈の本にも、そう書いてある。牧、牧直《まきなお》しに叡山登山の条《くだり》、ての」
「いろいろと、忝ない。急げば、明後日には、京へ入れようが、その足で、とにかく、叡山へ参ろう」
「では、若旦那、大津から坂本へ出まして、そこから」
「そう」
小太郎は、頷いて
「父の墓参も致したいし、義観と申す、命の恩人にも、礼を申したい」
「お兄様」
と、深雪が
「お姉様の、お墓は?――何処に、ござりましょうか」
「綱手か――墓はない」
「では、埋めましたところは?」
「知らぬ」
深雪は、俯向いた。四人は、暫く黙っていた。深雪が
「妾、お姉様の、笄《こうがい》と、肌襦袢とを、持って参っておりますが、それを、お父様の、お墓の横へ――お墓を立てましては?」
「姉の墓よりも、己の墓のことを考えい。今度の旅は、死出の旅と、同じであるぞ」
「はい」
「庄吉に、吾々と一緒に、葬ってくれるよう、頼んでおけ」
「はい」
庄吉が
「あっしらの骨も一緒に、その義観って、ずく入《にゅう》に、頼んじまおうじゃござんせんか。四人心中の墓ってね。一人二人は、面倒臭えや、師匠も、死ぬだろう。もういい齢だから」
「うむ、齢と一度、相談してきめようかの」
「俺、とにかく、牧の鼻を、齧るんだ」
庄吉は、右肩を、聳かしていた。
「旦那へ」
と、駕屋が、瀬田の橋の真中――小さい森が、橋と、橋とをつないで、湖の中へ突き出ているところで、肩をかえながら
「旦那あ、御武家じゃございませんけ」
と、聞いた。
「うむ、町武家と申してな、江戸の流行物《はやりもの》じゃ」
「へえ、町武家?」
「黒船以来、町人の武家ができた」
「えらい騒ぎだそうでございますな、黒船って奴で」
「京は、何うじゃ」
「京は旦那様、うっかり、夜も歩けやしません」
「辻斬りか」
「いいえ、辻斬りは、出ませんが、生首に躓《つまず》くんで」
先棒が、じっと、益満を見ていたが
「旦那あ、何んだな、俺の睨んだところでは、関東の隠密だな」
と、云って、首を傾けて
「そうでござんしょう」
「そう見えるか」
「そりゃ、人を見て、飯を食ってるんでござんすから、それくらいのことは、こう睨むと、外れませんよ」
「俺も、そうらしいと思った。旦那、用心なさいまし、京は、そら、志士って奴が、のさばり返っていて、お上《かみ》の者と見ると、ばさりと、やるそうでしてな。この間も、そのために、彦根のお侍が、大分、お入りになりましたが、何うも、江戸も、京も、物騒になりましたな」
「うむ」
「さ、行こうか」
駕屋は、手拭を、棒鼻へかけて、肩を入れた。
「あれが、叡山か」
「へえ」
益満は、一日先に立って行った小太郎が、何うしたか?
(道中一本筋で、何っかで、逢う筈だが)
と、思いながら、駕の中で、腕組をして、凭《もた》れ込んで、じっと、叡山を、眺めていた。
(先に、叡山へ行ってみるか、それとも、京へ寄って、牧の行方を聞いてみるか?)
益満は
(助太刀をしてやりたいが、俺の仕事を、まず片づけてから――小太郎一人を殺したとて、牧一人を討ったとて――それは、天下の形勢に、何んでも無いことだ。俺は、今、天下のために、働かねばならぬ。天下には、今、俺でないと出来ぬことがある。西郷でないと、やれぬことがある。天下の勢いも勢いであるが、それを導くものは、人物だ。大義、親を滅す。小太郎のことは、余力で為すべきだ)
益満は、叡山から、眼を放した。そして、そのまま、じっと、眼を閉じて、考え込んでいた。
「はい――はい」
駕が、誰かに、声をかけて、通り抜けたらしかった。その刹那
「おやっ」
と、いう声がした。益満が
(南玉に似た声――)
と、感じた時、駕の後方に、走って来る足音がして
「益満さんでは?」
益満が、駕の中から、振向くと、南玉が
「矢張りそうだ」
と、いうと、すぐ、後方へ
「若旦那」
と、叫んだ。益満が
「駕屋、とめろ」
と、云った。
「駕屋、橋詰で、待っていてくれんか」
益満は、行手の方を指さした。二人の駕屋は、深雪を、じっと眺めてから、囁き合って、去って行った。
「ところも、瀬田の唐橋で、手前に大津とは、紀妙寺《きみょうでら》、へい、今日は」
南玉が、御叩頭をして、後方を振向くと、庄吉が
「何うも――今日、逢えるか、明日、逢えるか」
「お久しゅう存じます。お変りござりませぬか、その節にはいろいろと――」
と、深雪が、丁寧に、手を膝へおろして、挨拶するのを
「小太、一寸来い」
益満は、大声で、小太郎へ叫んで、欄干へ凭れかかった。小太郎が、静かに近づいて
「いろいろと、世話をかけたらしいが」
「大津から、叡山へでも行くのか」
「そのつもり」
益満は、頷いて
「わしは、真直ぐに、京へ入る」
南玉が
「いかがでしょう、一寸、叡山参詣は? 四明から見下ろすと、京の町中は一望の下に」
益満は、それに答えないで
「牧の消息は、判っているのか」
「大阪らしいが。とにかく、叡山へ行って、牧が、修法を済ませたか、済ませぬかを見届けた上で、いずれとも、考えようと思う」
「警固の手配などは?」
「判らぬ」
「わしを、頼みにはしておらんであろうな」
「しておらぬ」
小太郎は、そういって、微笑した。
「女だの、仇討だのと、申すものは、小太、ちょいちょいとして、ちょいちょいと、済ましてしまわんといかん。男子一生の精魂を傾けて為す程のことではない」
庄吉が
「旦那、お春は?」
益満は、見向きもせずに
「無事だ」
と、云って、小太郎に
「わしの、今度、京へ上るのは、小太」
益満は、声を低くして
「倒幕の機運が近づいたからじゃ」
小太郎は、じっと、益満の眼を凝視《みつ》めて、頷いた。
「江戸で入用の金をな、取りに――何んと、庄吉」
「へい」
「あの調所が、一生かかって積立てた金が、我等同志の役に立つとは、不思議なことではないのか。調所が、自害せなんだなら、今でも、手がつけられんが――こう考えてくると、巾着切一人の手柄だの」
「益満さん、その手柄に免じて、一つ、小太郎さんを、お助け下さいませんか」
「暇があればの。わしは、今夜、三条小橋の池田屋で泊る。七日、十日は、逗留しておろう。万一の時には、知らせるがよい。当にせんとな」
小太郎は、頷いた。
「深雪、わしと一緒に、京へ来るがいい。ついておっては、兄の働きの邪魔になるぞ」
「はい」
「忝ないが、いつも申す通り――わしは、他人の世話にばかりなって、つくづく武士に愛想のつきているおりだ。せめて、牧を討って、それを申訳に残して、妹と二人で、あの世へ――」
「たわけたことを申すな」
と、益満が、怒鳴った。
「男子の尊ぶべきところは、その意気にある。百難に屈せぬ意気にある。貴様の心は、素直であるが、少しの余裕もない。素直は、一つの善であるが、善のみでは、この世に処して、値打ちが無いぞ。善を行うに勇、勇を行うに明。よいか。勇は、勇そのもののみで、値打ちだぞ。その勇がよし、悪を行うにしろ、悪に徹するだけの勇力が、もしあれば、その悪は、万人嘆称の悪だ。いいや、悪に対する嘆称ではなく、悪を徹底せしめたるその勇気を、嘆称するのだ。貴様の勇に、これだけの覚悟があるか? 庄吉の手を借りるのは済まぬ、
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