を掴んだ。
「泥棒たあ、何んでえ」
町人は、庄吉の手を掴んで、振切りながら
「そいつ、捕まえてくれっ」
と、叫んで、走り出した。庄吉は
(誰か、品物を受取った子分の奴がいるだろう)
と、四辺を眺めたが、それらしいものが居なかったし、吉公が、渡した様子も無かった。庄吉は
(掏ったものを、持っていちゃ、駄目じゃねえか)
と、吉松の後方へ、怒ってみた。それと同時に、自分を助けてくれた吉松へ、役人の指でもかけさせたら、仲間へ顔出しが、出来んと、思った。
(俺は、金さえ、お二人に渡しゃ、少々、痛められてもいい身体だが、吉を痛める訳にゃあ行かねえ――余計なことをして、心配させやがる)
庄吉が、走り出した時には、往来の人々が、町人の方を眺め、町人が
「そいつ」
と、叫んで、指さす方を、眺めていた。両側の家の中から、若い男が、走って出たり、顔を出したりして
「巾着切か」
「泥棒か」
と、叫んだり、眼を見合せたりしていた。泥棒なら、捕まえて袋叩きにしてもよかったし、巾着切なら、掏られた奴が、虫の好く奴か、好かん奴かによって、追っかけて、取戻してやってもいい、と、若い衆は、考えていた。そして、周章てて、走って行く町人を見ると
「いい齢をしやがって、掏られる奴は、べらぼうってんだ」
と、呟いて――それでも、何か起るか、興味をもって、眺めていた。往来の人々が、町人と一緒になって走ったり、佇《たたず》んだり――街は、足音と、どよめきとで、騒がしくなりかけた。
(吉め、早く、逃げりゃいいのに――)
庄吉は、振向きもしないで、落ちついて行く吉松に、感心をしたり、心配をしたりしながら、走って行った。
「待てっ」
町人が、叫んで、吉の肩を掴んだ。二三人が、二人の側へ立った。庄吉が、袖をひらひらさせて近づくと
「返せっ」
と、町人が、半分の恐怖と、半分の薄気味悪さとで、こういうと、吉は、にやりと笑って
「これかい」
懐中から、大形のいんでんの懐中物を取出して
「気をつけな」
と、云って、町人の足下へ、ぽんと、抛《な》げ出した。そして、四方の群集へ
「何い、見てやがる」
と、云って、睨みつけた。群集が、さっと開いた。吉が、その中を、静かに出て行くと、足早に、露路の中へ、入ってしまった。町人は、細い紐を、ぐるぐる巻きつけてある紙入を、足下から拾って、懐中して
「何うも、皆さん、お騒がせ致しまして」
と、群集にお叩頭した。
「まあ、よかった」
と、一人が云った。庄吉は、微笑して
「本当に、よかった」
と、云った。一人が
「もしもし」
と、町人の歩きかけたのを、呼びとめて
「中を改めてみんと、お前さん」
と、注意した。
「ああ、何うも――」
と、町人が周章てて、紙入を出して、中を覗くと
「いけないっ――彼奴、何処へ行った。畜生っ」
と、叫んで、群集の中を、掻き分けて、出て行こうとした。二三人が
「何処へ行きゃがったんだろう」
と、四方を見廻した。庄吉は、ぶらぶら歩きながら
「吉公、何処へ行った。油買いに、酢買いに、か」
と、呟いた。
(吉の奴――度胸もできたし、腕も、ようなったわい)
庄吉は、すっかり安心して、微笑すると同時に
(いい兄弟分を、持った)
と、思った。吉松の入った袋露路には、仲間の一人がいて、隣町へ、すぐ抜けられるようになっていた。そして、そこへ逃げ込んだなら、何処へ抜けて、何処へ落ちつくか、それは、仲間の約束が定まっていた。庄吉は
(しかし、俺《おいら》一人で、そう合点していたって、もしかして――)
と、吉松に、ちらっと、不安を感じながら、横町へ曲った。
「庄吉」
「おおっ、兄弟」
「俺とな、仲間との餞別だあ」
吉松は、もう、姿を変えて、職人風で、手拭を、頭から冠りながら
「世間様、どさくさしていなさるから、稼ぎ時だ」
と、笑って、重い財布を、庄吉の掌の中へ渡した。
「お前、俺の蹤けてたのを、知っていたのかい?」
「兄貴、長いことする仕事じゃあねえ、お前、ぷっつり、この道あ、よしたと考えていたが――危え、左手一本で、昔のように、上手な仕事が出来るもんけえ。俺、見かねたから、手伝ったが、兄貴、もうよしねえ、いいことじゃねえ。本当に、俺あ、お前が、もうよしたと思って、喜んでいたんだぜ。益満さんに、この間逢ったら、その内、庄吉は、何んとかしてやろうと、仰しゃったが、益満さんに、縋って、人間らしく、行ってくれ」
「うん――判ったよ――忘れねえよ」
庄吉は、そういって、顔を上げて
「有難うよ、もらっておかあ。皆に、よく礼を申しといてくんな。もしかしたなら、兄弟、これが見納めになるかも知れねえ」
「仕方がねえ、やるところまで、やってみな。牧の便りも、もう来るだろう。お嬢さん達ゃ、その金さえありゃあ、立てるんだろう」
「判るかえ」
「それんくらいのこと判らねえで、何うする」
「そうかえ」
庄吉は、笑いながら、薄い涙を、眼瞼へ出していた。
「お前が死ぬのが早いか、俺が早いか、江戸も、黒船のために、煙になるって、評判じゃあねえか」
「そうだってのう、じゃあ、もらって行くぜ」
「達者で、行きな」
「牧の野郎の、便りを頼むぜ」
「いいとも――」
庄吉が、歩きかけると
「道中で、ひょんな気を起しなさんな」
と、吉が、又注意した。
「心配しなさんな」
「お嬢さんにもな」
と、吉が、笑った。
「戯談《じょうだん》、云うねえ」
庄吉が、振向いて、笑うと同時に
「あばよ」
と、吉松が云って、足早に、歩いて行ってしまった。庄吉は、その後姿へ、一寸、振向いて
(有難う)
と、心の中で叫んだ。そして、懐中の金の重さを計ってみて
(七八十両はある)
と、思うと同時に、小走りに、走り出した。
(路銀は十分だ。深雪さんっ――着物を売るにゃあ当らねえ。若い娘が、着物を売るなんて――他人のことでも、庄吉は、見ておれない性なんだ)
庄吉は、笑いながら、走った。
寄席の、軒下に
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一世一代此の世の名残り、桃牛舎南玉、長講二席相勤候
[#ここで字下げ終わり]
と、天地紅の、びらが、貼ってあった。中へ入ると、汚い敷物の上に、七八人の客が坐っていた。
「大分、騒いでおりますな」
と、木枕をいじりながら、隠居らしい人が、隣りの男へ、声をかけた。
「本当にねえ、芝を逃げ出すくらいなら、芝で生れねえのがいいや」
軒下で、怒鳴っている寄席の若い衆が
「いらっしゃいっ」
と、声をかけると、暖簾《のれん》を、頭で分けて、一人が
「おうおう、集まって来てやがるぜ、おけら共が――」
「よう、禿亀《はげかめ》、相変らず、のんびりしているな」
「うむ、今夜は、南玉と二人っきりだろうと思ったら――」
と、云った時、又
「いらっしゃい」
と、呼ぶ声がした。
「来るぜ。胆の据ったのが、うようよといるらしいのう」
「何をっ。手前のは、胆が、からっきし無えから、怖くねえんだろう。お前んとこの長屋の奴は、青梅に逃げたってね」
「うむ、えらく、腹がへった」
一人は、そういって、帳場を振向いて
「売子の娘は居ねえのう」
「危えからって、青梅へ行ったのだろう」
「今朝っからの騒ぎで、お前、商売は出来ねえし、こんな時だ、一つ、品川の女郎屋へ行ってやれ。女郎は、何っかへ、皆逃げっちめえやがっただろう。大広間で、一つ、一人で暴れてこまそと、八つ山まで行くと、抜身の槍だ。成る程、物騒だ、と、木戸を抜けて、入口へかかると、お前、でんでん、太鼓を叩いて遊んでやがらあ。嬉しくなっちまった。江戸っ子だねえ。臍の曲ってるところが、おもしろいじゃねえか。黒船が来るっていうのに、お前、わざわざ品川へ行って、遊んでいるなんざ、これ、人間業じゃあねえぜ」
「ここへ来ている奴等も、一寸、変ってるのう」
「俺は、お前、嬶《かかあ》に、こんな晩、妾を見すてて、寄席へ行くなら離縁してもらいましょう、と、いわれてね。ぽかんと、撲って、走って来たが――南玉の野郎、一世一代、この世の別れとは、何んだろう」
「長い馴染だから、実は、俺も嬶に叱られながら、やって来たが、おかしな奴だからのう」
町内で、顔馴染の人々が、二三十人にもなってきた。茶を飲んだり、臥たり、話をしたり――そのうちに、一人が、手を叩いた。二三人が、つづいて叩いた。客は、時々、未だ入って来て、お互に、挨拶しながら、世間の騒ぎと、江戸っ子だということと、南玉を助けてやろうということとを、又話した。
南玉が、狭い板廊下の向うから、俯向いて、湯呑をもって笑いながら、足早に出て来た。そして御叩頭《おじぎ》をしてから、高座へ上った。人々が、一斉に、拍手した。一人が
「師匠、首でも、縊《くく》るのかい? この世の名残って――」
南玉は、湯を呑みながら、御叩頭をして
「ただ今、その訳を――」
そうして、湯呑を置いて、張扇で、ぽんと一つ、見台を叩いて
「さて、かようの晩の御入来、一方ならぬ御贔屓のせいと、ひたすらに、専《もっぱ》ら、感涙に咽び泣いております――ええ、そもそも、南玉、一世一代、これが見納め、聞き納め、笑い納めの、泣き納め、たんだ、納まらないのは、胸の内――」
ぽんと、自分の胸を叩いた。
「そも、過ぎつ年、逝《ゆ》きし頃――この前、黒船の参りました時、憶えもござりましょうが、三田は、薩摩の御邸で、夜を徹しての、能狂言、謡の声も、晴れ晴れと、鼓の音も、ぽんぽんと、それで、すっかり、附近の町家は、落ちつきまして、御門の前へ、朝になると、大きな膏薬、はがしてみると、その下に、天下の大出来物、と、書いてあったと、この時の、大出来者島津斉興が、今も猶大出来者か、或いは又、大不出来か、ちらり、ほらりと、雨夜星、琴平湯の、浴槽《ゆぶね》にて、弁慶床の店先にて、人の噂に聞きつらん。例の、お由羅に丸められて、昔時の俤《おもかげ》や、今、何処にかある。忠勇義烈の勇士をば、させもさせたり、しもしたり、三千と三百八十人、並べておいて、腹を切らした――とは、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]じゃのめの傘で、ちっと披げすぎたが、当時、評判のお話じゃ――ところで――」
南玉は、湯を一つ飲んで、羽織を脱いで、後方へすてると、腕まくりをした。
「ところが、ところで、このところ――拙、南玉が、あら不思議、この御家騒動の後ろ楯、万事の采配を振っている――えへん、ただの講釈師とは、講釈師がちがう――お聞き及びの、呪い殺し、あれは、兵道の名誉、牧仲太郎の仕業であるが、これを討つのが、仙波小太郎、これを助けて、桃牛舎南玉、いよいよ、牧を討取ろうという段取りになったが――」
と、云って、右手の指で、丸をこしらえて、突き出して
「これが無い。そこで、考えたのが、あの表のびらだ。桃牛舎南玉一世一代、此世の名残、長講二席、多年の、お馴染甲斐で、きっと、引っかかって来やがるだろう、かかって来たなら、しめ子の兎、一人頭に、二三十文ずつ、絞り上げても、路銀の足しになると――恐れ入ったる智慧袋、呆れ返った無心沙汰――」
南玉は、こう云って
「香奠《こうでん》をやると、思《おぼ》しめして――」
と、いうと、高座から、前へ、ひらりと、飛び降りた。そして、扇を右手に、左手は、掌を披げて
「はい、お頼み申します」
「何あんだ――畜生、人が食ったことを、吐かしゃあがって――」
と、一人が、笑った。
「いや、おかしいとおもったよ。然し、師匠が、浪人者を見てるって話は、聞いているよ。なあ、江戸っ子だ。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]でもいいや」
「洒落《しゃれ》た事をするぜ。師匠らしくていいや、ほらっ――」
誰も、笑っていた。そして、財布を出して、南玉の廻って来るのを、待っていた。
「本当に、師匠、行くのかい?」
南玉は、真面目な顔をして
「ここ、二三ヶ月の内に、瓦版になって出ますよ。はい、有難う、はい、有難う」
と、云いながら、人々の間を廻って、銭を手から袖へ、扇から袖へ――そして、一廻りしてから
「厚
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