、半分、現れていた。
 二人の人夫は、鋤で、土を掻き分けて、埋めてある死体を掘り出していた。三人の士分の者が、五人の足軽に、その周囲を、警戒させて、少し離れたところで雑談していた。
「もう、腐っているかな」
「暖かいから、判らんぞ」
「然し――老公も、御立腹は、尤もながら、別に、死体を掘り出して、又、獄門にしなくても、よかりそうなものではないか」
「余程、御立腹と見えるのう」
「お為派も、悪いには、悪いが――然し、このことが、江戸へ聞えたなら、老公は、いよいよ隠居だのう」
「それは、決まっているらしいが――もし、斉彬公の世になったなら、この仕返しが、きっと、来るであろう」
 人夫は、時々泥まみれの手で、汗を拭いては、土を掻き分けて行った。埋めて、大して日の経たぬ土は、湿っていたし、柔かくもあった。鋤が棺に当ったらしく、堅い手答えがした。
「旦那様、誰方《どなた》か、一寸、手をかして頂けませんで、ござりましょうか」
 恐る恐る聞いた。
「何うした」
「持ち上げるんで――」
「人間一疋を持ち上げるのに、二人がかりで出来ん法があるか」
「へえ」
「二人でやれっ。やらんと、賃銀を、与えんぞ」
「へえ」
 人夫は、棺の周囲の土へ、鍬《くわ》を打込んで行った。鍬の先が、棺の木に当って、土に汚れて、薄黒くなった肌に、白い傷が、いくつも、ついた。それは、死んで、この棺の中に、納まっている高崎五郎右衛門の死体へ、傷をつけているのと、同じように思えた。少し離れたところの焚火の周囲に、しゃがんでいた足軽の一人が
「誰か、来る」
 と、云った。人々が、一時に、その眼の方を見ると、大きい、太った男が、近づいて来ていた。
「御奉行様の、身寄りかのう」
「聞いて、駈けつけたのだろう」
「駈けつけるって、あんなものじゃない。あいつあ、人並より、のろいではないか」
 ところどころに、墓標が立っていたり、ところどころに木と草叢とのある原――いくつかの、罪人の死体の埋まっている原の中を、だんだん近づいて来る侍を、じっと、眺めていた足軽の一人が
「あいつは、西郷でないか? そうじゃ、吉之助じゃ」
 と、云った。
「吉兵衛の倅か」
 棺を、すっかり掘り出した二人の人夫は、土の中へ、脚を埋めて、二人とも、棺を肩へ当てて、穴の中から、棺を土の上へ、押上げていた。
「よいしょ」
「こらっ」
 二人は、足を踏ん張り、土を掴み、歯を食いしばって、押出していた。
 西郷は、静かに、近づいて、棺の押上げられているのを見ると、ずかずかと、二人の方へ、足早に歩いて来た。

「これは、何んのために?」
 西郷は、二人の士の側へ立った。二人は、上りきらなくて、一休みしている二人の人夫を見ながら
「死体を、獄門にかけるためじゃ」
 西郷は、穴と、棺とを眺めていたが
「高崎殿だけでござりますか、それとも、余の人々も――」
「同罪の人は、同罪であろう」
 人夫の休んでいるのを、じっと、睨んでいた一人が
「何をしとる」
 と、叫んだ。
「へえ――余り、重いんで」
「中身は、老いぼれの死体だけではないか。なまけ者がっ」
 二人の人夫は、肩を、棺へ当てた。そして、顔を、赤くして、押上げかけた。西郷は、掘った土の中へ、草履を埋めながら、ずかずかと、穴の縁へ行った。
「何をするのか」
 一人の侍が、怒鳴った。
「高崎殿も、浮ばれまいから、せめて、某でも、手伝って――」
 西郷は、静かに、こう答えて、人夫に
「待て」
 と、云った。
「へえ、何う、致しましたら?」
「手伝ってやる」
「いえいえ、滅相もない」
「棺を、横に致せ」
 西郷は、ずるずると、土と一緒に、穴の中へ入って来た。足軽が二人、穴の上へ来て
「吉之助さん、およしなされ」
 西郷は、答えないで
「そちらへ、二人かかるがよい」
「旦那、そっち一人で?」
 人夫は、西郷の大きい体を見て
(力がありそうだ)
 と、肚の中では、その加勢を喜んではいたが、目付の侍に叱られるのを恐れて
「いえ、二人でやっつけます。何うか、お上んなすって」
「よいから、押せ」
「へえ」
 西郷が、棺の下へ、肩を入れたのを見て、二人も、肩を当てた。
「よいか――それっ」
 棺は、ぐらっと、一揺ぎすると同時に、ぐぐっと、押上げられた。一人の足軽が、穴の外から、棺へ手をかけて
「大丈夫ですかい」
「さ、もう一押し」
 西郷は、土を踏み固めて
「よいかな――そらっ」
 棺は、穴の縁へ乗りかかって、すぐ、地上の方へ倒れかかった。
「何うも、有難うござりました」
 人夫は、礼をいって、土を踏み崩して、穴の外へ出た。西郷が出ようとすると、土は、崩れ落ちるばかりで、登れなかった。人夫が
「旦那様」
 と、手を出した。一人の人夫が
「一寸――」
 と、いって、穴の中へ、飛び込んだ。そして
「押しますから」
 西郷は、二人の人夫に、尻を押され、手を引かれて、穴から出た。二人の侍が
「近いから、転がして行け」
 西郷は、二人をじっと見て
「転がして――それが、元の御船奉行への作法でござるか」
 二人は、答えないで
「早くせい。早く」
 と、いった。西郷は、黙って、棺を見ていたが、だんだん俯向いて行った。

 何処から洩れたか、刑場へは、遺族の人々の関係者、無関係な見物人が、集まって来ていた。
 死体は、棺は、番小屋の前へ投げ出されて、土まみれになっていた。群集は、お互に険しい眼をして、黙っていた。掛の者は、番小屋の土間で
「首は、誰に斬らそうかの」
「誰に斬らす?」
「ああ見物が多くては、後の噂が困るでないか。拙者が、首を斬るのを見ていて、城下へ拡まっては、家の者へも合す顔が無い」
「役ならば、致し方もあるまい」
「いやだ。元来、一旦処置をして、而も、立派に腹をしたものを、その上、死体を掘り出して、曝すなど、あるまじきことじゃ」
「それは判っておるが、今更――」
 と、いった時、足軽だの、人夫だの、番小屋の者などが、棺の蓋を、こじ開けて、木を軋らせたり、折れる音を立てたりしていた。
 遺族の人々が、涙ぐんだ眼で、憤りの眼で、何かいいつつ近づこうとするのを、足軽が、押留めていた。
 死体は、何れも、白無垢を着ていた。外は寒かったが、暖かい土の中に埋もれていた死体は、外からも、内部からも腐敗しかけていて、髪の毛は、一固まりになって、剥《む》け落ちていたし、脣は、黒くなって腐り、歯が剥き出していて、人々へ怨恨を訴えているように見える。
 自分で頸を突いた人も、介錯人に首を打落させた人も、その首を継ぐために、幾重にも、白布を巻いていた。半分開いて、白く剥き出している眼、睫毛が抜け落ちた眼瞼の中から、微かに、人々を眺めている眼。合掌した掌。その掌の珠数、持物、脇差、香花――そんなものが、棺の中から持ち出されて、棺の上に置かれてあった。
 誰の顔も、生前とは変っていた。肉が落ちてしまっていたし、色が変って、斑点が出来ていたし――そういうものを、掘り出して見ることは、死んだ人へ最大の恥辱を与えるのだ、という感じが、人足の頭へも感じられた。見るべからざるものを見、見すべからざるものを見せた――お互に、憤り、恥ずべきものであった。
「小屋番に、斬らせるか」
 と、侍がいった時、国分猪十郎の首が、布を解かれて、土の上へ転がったらしく、一人の足軽が、拾い上げて、鼻をつまみながら
「御検分」
 と、叫んだ。その途端、群集の中から
「礼を存ぜぬか、礼を。たわけがっ」
 と、叫ぶ者があった。それと一緒に、群集が、口々に、何か云いつつ、どよめいた。足軽は、鼻をつまんでいた手を放して
「臭えからの」
 と、呟いた。
「足軽などに、斬らせては、却って悪口を吐くであろう。礼を正しくして、斬る外はあるまい」
「うむ」
 一人は、俯向いて、じっと、土間を、見入っていた。
 群集が、どよめいて、動いた。僧侶が二人、その中を掻分けて出て来た。足軽が
「何用で」
 と、咎めると
「死体に、坊主は、つきものじゃで」
 と、笑いながら、小走りに、死体の方へ走って行った。その後方へついて来た西郷吉之助は、群集の前に立って、僧侶が、死体へ、黙祷して、合掌すると同時に、自分も、合掌して、首垂れた。四辺の人々も、皆合掌した。

 赤山靱負は、うすら寒い、暗い、自分の部屋で、書類を破り棄てていた。一寸見ただけで、破ったり、暫く、読み返してみてから破ったり――。
 靱負の前には、女房と、老人の用人とが、その破った書類を掻集めたり、一面に陳べてある、刀剣、書物へ、細長い白紙を、貼ったり、差込んだりしていた。二つの、大きい手函の中の書類を、悉く、破りすてると
「焼き棄てえ」
 靱負は、少し、眼瞼の赤くなっている女房の眼へ
「庭で――」
「はい」
 女房は、静かに、立って行った。そして、廊下で、手を叩いた。遥かのところで
「はい」
 と、いう返事がした。庭番が、来たらしく、女房が、何か命じていた。靱負は、暫く、刀剣を見廻していたが、用人が、小さい帳面を、膝へ置いたのを見て
「その永正祐定は、樺山」
 用人は、頷いて、帳面へ印をつけ、刀に縛りつけた白紙へ、樺山と、書いた。
 靱負は、遠島という処分になったのであるが、この処分は、習慣として、自裁をすすめる方法であった。あからさまに、切腹を命ずる程の罪もないが、死んだ方がいい、と思った人間に対しての処分法であった。それから又、遠島に処せられたとしても、一生、生きて戻れぬ上からは、武士の面目として、切腹するのが、当前でもあった。卑怯に、島流しにされながら、のめのめと、生きていることは、隼人の意地として、出来ないことであった。
「吉兵衛が、参りました」
 襖外で、そういう声がした。
「通せ」
 靱負が、答えると同時に、襖が開いて、西郷吉兵衛が、入って来た。そして、敷居際へ、平伏した。
「それは、吉井へ――」
 靱負は、用人へ、そう云ってから
「近う、参れ」
「はっ」
「介錯をしてもらいたい」
 吉兵衛は、じっと、靱負の顔を、眺めていた。用人が、手をとめたのを見ると
「国重は、三原へ」
「はい」
 用人は、周章てて、筆を走らせた。
「して――その日は?」
「今夜」
「然し、余り――それは」
 靱負は、じろっと、吉兵衛を見て
「死体さえ掘り起す殿ではないか。わしが、今まで、こうしているのさえ、忌々しかろ」
「いささか、手前、腑に[#「腑に」は底本では「俯に」]落ちませぬが――」
「何が?」
「追っつけ、斉彬公の御代になりますが、公の御代になれば、当然、この処分は、御取消に、相成りましょう。一旦の、御立腹にて、早忽《そうこつ》と、腹をなさることは――」
「皆、そういうが、お前もか。斉彬の代になるのを待つつもりで、あれ見よ、赤山は、未だ生延びておる、と、後ろ指を指されるのが、嬉しいか」
「いや、決して左様な――」
「恥を忍んで、斉彬のために尽せ、というのであろう」
「はい」
「斉彬の代に、近々なるときまっておれば、それでよいではないか。そのためにわしが企てたことだ。後のことは斉彬が、何んとかするであろう――倅は、家にいるか」
「はい」
「呼べ」
 靱負は、そういってから、用人に
「この形見分けは、吉兵衛から、それぞれに届けさせい」
 と、いった。

 吉之助は、両手をついたまま、いつまで経っても、顔を上げなかった。
「お前を、見込んで、頼んでおきたいことがある」
 靱負が、こういうと、吉之助は、手の甲で、眼を撫でた。
「斉彬へ、手紙を書いておいた。お前を、庭番にするようにと――親爺から、時々、聞いておるが、この先、当家を背負って立つ者は、軽輩に多いらしい。その中でも、わしは、お前を、見込んでいる。わしの存じている若者の中では、お前が、一等じゃ。未だ、思慮も、分別も、未熟なところはあろうが、わしは、お前の、素朴な、一本気な――その、すぐに泣くところが、大好きじゃ。斉彬には、それがない。お前が、斉彬から、学ぶものも、多いであろうし、斉彬が、お前から、省みることも、多いであろう。そして、お互に、えらくなる。わしは、斉
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