、片づけんと、事が面倒になる」
「それで、いろいろと、苦心しておりますが――」
「それから、調所の倅は、如何した?」
「さあ、和田と、高木の大砲盗み出しのことを、密告して来て以来、とんと参りませんが――」
「あいつ、大阪を逐電《ちくてん》したが、今度参ったなら、元々へ戻るよう、よく申し聞かせておいてやれ。よく働く――親爺に似て、なかなかの才物じゃ」
「はっ――それでは、万事、お任せ下されますか」
「うむ」
「では、早速に――」
平は、こう云って、腰を上げたが
「横目付は、和田と、四ツ本に致しまして、大目付は――」
平は、首を傾けて
「川上――これなら、藩中で、公平の噂の高い男ゆえ――」
「川上か。よかろう、他国へ聞かれても、偏頗《へんぱ》の沙汰があっては、悪い。川上はよい」
「裁許掛は、川北孫左衛門ということに、致します」
「よし、任しておく」
「はっ。では、これにて」
「御苦労」
平が、一礼して立上ると
「ついでに、由羅へ、もう、用は済んだと、申しておいてくれんか」
「かしこまりました」
「うるさい世の中じゃの。わしも、早う、隠居したいわい。今に、わしの首まで覘《ねら》う奴が出るかも知れんて――」
平は、立ったまま聞き終って、障子を開けて、出た。
「由羅へ、申してくれ」
と、斉興は、もう一度云った。そして、欠伸《あくび》をして、老眼に、涙をためていた。それから、紙を出して、力無さそうに、鼻汁をかんだ。
廊下へ、出迎えている士に
「川北は、参ったか」
と、平が聞いた。
「只今、お上りなされました」
平は、黙って、士の開けた襖の中へ入って行った。そこにも、一人の士が、坐っていた。そして、次の間への襖を開けた。二十畳の部屋に、行燈が一つあるだけで、天井も、床の間も、薄暗かった。その、広い部屋の、敷居のところ、隅のところに、裁許掛、川北孫左衛門が、坐っていた。膝の前に、座蒲団と、茶とが、置いてあった。
「遅いのに、呼立てた」
と、云って、平は、褥へ坐ると
「はっ」
侍女が二人、燭台を二つ、運んで来た。
「大事が、起ってのう。もそっと――ずっと、こっちへ、内々に話をしたいから――」
と、云って、侍女に
「それを、ここへ」
と、蒲団を指した。
「予て――」
平は、こう一言云って、手焙《てあぶり》の火を、いじりながら
「早く行け」
と、女に云った。
「家中に、紛擾《ふんじょう》が起きている」
川北が、頷いた。
「それが、不届と申そうか、言語道断な振舞を致しおって、将曹の邸へ、斬込むの、豊後の邸を、大砲で、ぶっ払うのと、この上もない、上を軽んじたる致し方で、老公も、大の御立腹じゃ。それで、只今、御相談申し上げて、その首謀者の処分を、伺って来たが」
平は、懐中から紙を出して、披げた。そして
「こういう顔触れじゃ」
と、川北の前へ、差出した。川北は
「はあ」
と、云って、暫く見ていたが
「成る程、御立派な方々で、ござりますな」
「それで、こういう、家中の乱れを、余り世上へ知らしたくないし、何を又、企むかもしれんで、早く処分をしたい」
「はい」
「うむ、近藤、山田、高崎、土持――」
と、平は、書面を覗き込みながら
「村田、国分と、この六人は、切腹じゃ。それから、吉井、松元、山内、肱岡、これが蟄居。赤山殿、中村、野村、村野、木村、これが謹慎――」
「お尋ね申しますが、誰方が、お調べになりまして、左様の、処分に、お決めなされましたか?」
「調べる?――それは」
平は、一寸、言葉を濁したが
「和田と、四ツ本とで、調べた」
「和田氏と、四ツ本氏と――」
川北は、首を傾けてから、じっと平を凝視めて
「手前の、役表、裁許掛は――」
「一応、その方へも計り、又、その方も取調べるのが、順序ではあるが、何分にも、火急を要することゆえ、このまま、この人々へ、処分方を伝達してもらいたい」
「ははあ――川上矢五太夫氏は、御承知にござりますか」
「今、これへ参るであろう」
「近頃、当家は、奥と、表とが、混同して参りました。表より、奥を指図するのは、とにかく、奥より、藩政へまで、喙《くちばし》を出す方が出来て――」
「そういうことは、後で聞く」
と、いった時
「川上様、お上り」
と、次の間からいった。
「参った」
平は、こういって、手を叩いた。襖が、開いた。
川上矢五太夫は、伊集院平が、もう一度、繰返した説明を、聞き終ると
「孫左」
と、川北を、振向いた。そして
「これは、慣習に反く、違例であろう」
と、云った。
「かようの伝令は、今までに聞きませぬ」
「うむ」
川上は、頷いて、平へ向き直った。
「御存じの如く、罪の有無は、裁許掛が、これを、検察、糺弾致しまする。而して、その罪状を、老職に申し上げ、御老職より、君公の決裁を受け――」
「それくらいのことは、存じておる」
「それに、何故、役目ちがいの、目付が、取調べましたか」
「火急のことじゃから――」
「火急ゆえ、こうして、川北も参っておりますが――」
「お上の、御決裁は仰いである。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]と申すなら、御前へ出て聞くがよい」
「いいや、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]、欺《いつわ》りとは、申しませぬ。ただ、違法であると、申すのみでござります」
「お上が、御決裁済みなら、よいではないか」
「お上が、法を乱して、よい、という訳がござりますか? 法は、仮令《たとい》、老公たりとも、将軍たりとも、乱すことは出来ませぬ。重い方こそ、なるべく、法の表に従うようになさるのが、順でござりますが、上よりこれを乱して、何んとして、下を取締りますか」
川上は、左肩を聳《そびや》かして、右手を、膝の上へ握り拳にして突き立てた。
「議論を、吹っかけるのか」
「左様、御心得が、無さすぎると考えまする。第一に、この、書状の人々は、藩中に於ても、屈指の人物であり、人望もあれば、人品もよく、訳もないに、不敵の振舞などなさる方ではござりませぬ。その方々を、一応の取調べもなされずに、即日、切腹などと――それで、何んのための大目付、何んのための、裁許掛でござりますか?」
川上は、顔を赤くして、平を、じっと、睨みつけた。
「宮中、府中の別がなくなることは、古《いにしえ》より、その家の滅亡の基とされております」
川北が、静かにいった。
「それが、お由羅様、お入り以来、次第に乱れ勝ちにて、そのため、家中が二派に分れるようなこととなり、ひいて、此度の大事。その上に、厳然たるべき法を乱すなど――」
「川北は、上のお指図へ反く所存か」
平が、大きい声を出した。
「法は、曲げられませぬ」
「何?」
「上が、法をお曲げになれば、何故、平様が、御諫言なされませぬ。上がお曲げになったまま、下へ強請して、それで、殿の補佐する御家老と申せましょうか」
平の顔は、みるみる赤くなった。川北を、じっと、暫く、睨みつけていたが
「よし。頼まぬ」
と、低く叫んだ。
「裁許掛は、一人ではない」
「左様、腸《はらわた》の腐ったのも居りましょう」
「退れっ」
平は、怒鳴った。川北が
「平殿」
と、怒鳴った。平は、川北を、睨みつけて、立上った。
「かような無法の例を残して――」
と、云いかけると、平は、急ぎ足に、襖外へ出た。そして、侍に
「退げろ」
と、云った。二人は、じっと、平の出て行った後方を、睨んでいた。
川上矢五太夫は、門から、走って入るように、急ぎ足で、玄関へ上ると
「誰か――誰か居るか」
と、怒鳴った。
「はいっ、はいっ」
周章《あわ》てて、それに答える声が、納戸からも、玄関脇の部屋からも、起った。矢五太夫が、廊下へ、荒い足音を立てて、自分の部屋の方へ行く、後方から、若党が、女中が――そして、行手の部屋から、女房と、その後方に、七瀬とが、出て来て
「何か?」
と、不安そうな表情をして、出迎えた。
「手分けをして、急ぎの使に、行ってくれ」
こう云いながら、自分の部屋へ入って、廊下の敷居際に、うずくまっている若党に、部屋へ入って来て、刀を受取ろうと、手を差出している女房に
「お前は、近藤隆左衛門殿のお邸へ参って、只今、容易ならぬ使者が、殿より立ちますから、御覚悟なされますようと、申して参れ。何ういう使者だ、と聞かれたなら、内密の用につき、心利いた者を、至急、およこし下されますよう――火急の用にて、諸方へお知らせしておりますゆえ、手不足の当方より、一々、その旨を話す者を、差上げられませぬから、と――」
こう云って、若党に
「そちは、山一殿のところへ参り、善助を、高崎殿のところへ、やってくれ、口上を、間違えるな。もし、失念致したなら、お命にかかわることゆえ、と申せ――それから、七瀬」
七瀬は、胸を騒がしながら、坐っていたが
「はい」
と、見上げると
「御足労だが、国分猪十郎の許へ参って、右の口上、申し伝えて来てくれんか」
矢五太夫は、人々に、こういいながら、机の前へ坐って、急いで、墨を磨《す》り出していた。女房が
「このままで――よろしゅうござりましょうか」
と、自分の着物を見ると
「命にかかわることじゃ。走って行け。万作も急げっ」
口早にいって、料紙へ、何か認《したた》めながら、三人が
「では、行って参ります」
手をつくと
「それから――出口の、新納《にいろ》殿のところへ、飛脚を出したいから、一人、急いで、寄越すようにと、問屋場へ、立寄って、註文して参れ、急ぐぞ」
三人は、命にかかわる、との言葉と、常の様子でない、矢五太夫の態度とに、何か、大事が起ったとは察しられたが、それが、何か判らぬので、不安を感じながら、廊下へ出た。七瀬が、小声で、口早に
「お由羅派の――何か――」
と、聞くと、矢五太夫は、筆をとめて
「正義派が、総崩れになりそうじゃ」
と、七瀬を、睨みつけるようにして、いって、すぐ、筆を走らせた。
「はっ」
七瀬は、そう、溜息とも、言葉とも、つかないものを、吐き出して、すぐ、二人の後方から、廊下を小走りに、走って行った。
(夫の斬死も、無駄になったし――その上に、大殿様の、お指図らしいが――)
と、思うと、頭の中も、胸の中も、蒼黒い毒煙が、這い廻っているように、苦しくなってきた。内玄関へ出ると、万作が
「何事でござりますかな」
と、草履を履きながら、七瀬を見上げた。
「さあ」
と、いったが、七瀬は、逆上《のぼ》せてくるくらいに、何かしら、腹が立ってきた。神にも、仏にも、思いっきり、その無情をなじりたいような気持であった。万作は、すぐ、走って行った。七瀬は、自分の草履を、叩きつけるように、土間へ、投げ下ろした。
(お国許で、こんな騒ぎが、起っている以上、大阪にも、何か、起っているにちがいない――綱手は、何うしているかしら)
七瀬は、往来の人々が、怪しんで、振向くくらいに、急ぎ足で、歩きながら
(調所様は、よい方であったが、今度の蔵屋敷の方は、何んな人かしら――)
敵党の人だとは知っていたが、調所には、好意がもてた。向うから、馬蹄の音が、聞えて来たので、軒下の方へ、避けながら、馬上の人を眺めると
(見たことのある――)
と、感じた。そして、じっと、凝視めていると、顔が、明瞭としてきた。
(ああっ、四ツ本喜十郎)
七瀬は、一寸、立止まって、馬上の四ツ本を睨みつけた。そして、四ツ本の、すぐ、後方から、同じような栗毛の馬に乗って来る男の顔を見ると
(おお百城様)
二人は、馬を、急がせて、通りすぎようとして、七瀬の眼と合った。四ツ本は、じろっと、眺めたままであった。
(百城様が、四ツ本などと、一緒に――何んのために――)
頼もしい、味方であると信じていた百城が、四ツ本と、一緒なので、七瀬は、不愉快さを感じながら
(何をしに、こんなところに――)
と、思った時、百城が
「七瀬殿」
馬上から叫んで
「四ツ本氏、手前、すぐ、つづきますゆえ」
と、声をかけて、馬上から
「ちと、お話が――」
七瀬
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