くれないすそご》の鎧《よろい》着て、和田の岬の波打際に、たんだ一騎にて御入来。大音あげて弁ずらく、将軍西国より御上洛ならば、さだめて、鞆、尾の道の傾城《けいせい》共を、御召連れなされ候わん。それに食わせる引出物。一匹射留めて進上しよう。お口を開いて待っていな、と、上差《うわさし》の流鏑矢《ながれかぶらや》引抜いて、二所|籐《とう》の弓に取副《とりそ》え、小松の蔭に馬を寄せ、浪の上なる鶚《みさご》を的に、きりりや、きりりと、引絞ったりー」
益満は、富士春を、振返って
「ざんば岬を、弾いてくれ」
「ここで?」
富士春が、弾き出すと
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ざんば岬を、あとに見て
袖をつらねて諸人の
泣いて別るる、旅衣
[#ここで字下げ終わり]
と、益満が、唄い出した。
「おいっ、誰かいねえのかい。裏が、やかましいぜ」
楽屋の中から、誰かが、怒鳴った。
「どじめっ」
さっきの男が現れて来て
「ちったあ向うを見ろ。手前も、芸人じゃあねえか。軍談席の木戸で、唄を唄う奴があるかい」
と、いいつつ、益満の前へ立った。
「さて、いよいよ、これから、湊川の合戦というところ、まず、今晩はこれぎり」
南玉の、声がして、すぐ、ちらっと、姿が掠めて見えた。そして、楽屋の横から出て来て、裏木戸の方を見ると
「いやあ、判りましたかい」
と、叫んで、小走りに、出て来た。
「訳があって引返してきやしたがね、何処を探しても――」
と、いいつつ、二人の姿を見て
「何うなすったんで?」
と、小声で聞いた。
「出よう」
「ええ――定。何を、ぼんやりしてやがるんだ。履物を出してくれ――寄席へ出て、びらを撒きゃ、何っかから現れて来るだろうと、撒きやしたぜ、三千六百枚」
「※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]を吐《つ》け、出よう」
三人は、裏木戸を出た。
小太郎は、南玉の後から
(こんな汚いところに――)
と、思いながら、益満の住んでいる、陽当りの悪い、古い、臭のする長屋へ入って行った。南玉が
「今晩は」
と、いうと
「誰だっ」
聞いたことのない、侍らしい声がした。だが、すぐ
「おお」
と、益満が云った。土間へ入ると、障子が開いて、益満が立っていた。小太郎を見ると
「よう」
小太郎は、それへ笑って
「客?」
と、奥を、顎でさした。
「構わぬ。引合せよう」
行燈と、燭台とを置いて、二人の浪人者らしいのが、振向いた。南玉は、上り口の間から
「ええ」
と、云って、敷居際へ、手をついた。
「入れ。親爺――これが、桃牛舎南玉。これが、仙波小太郎」
お互に、挨拶が終ると
「よく無事だったのう。八郎太殿の話は、京で聞いた。天晴れだ、という話であった。わしは、二日おくれて、叡山へついた」
こう、軽く云って、益満は、小太郎の顔をじっと見た。
「益満――綱手も――」
「南玉から聞いた。悲しいか?」
「悲しいか? とは?」
生死さえ判らなくなった自分が、こうして戻って来たのに、余りに、軽く、冷たそうな益満の態度に
「骨肉の情でないか」
「斉彬公は、四人の御世子を、人手にかけられたが、眉一つ――」
小太郎は
「判った。判っている」
と、口早に、益満の次の言葉を止めた。
「それで――用件があるが――」
小太郎は、二人の見知らぬ浪人の前で、こう云って躊躇してみせた。
「牧を討つことか」
益満は、こう云って微笑した。
「そうじゃ。江戸に――居るらしい」
「何うしても、討ちたいか?」
小太郎は、こうした益満の言葉へ、うっかり返事をすると、すぐ、頭ごなしにやられるので
「何うしても、とは?」
「一生かかっても、牧を討ちたいか?」
「親の敵なり、悪逆の徒ではないか?」
「日夜、一生、牧にかかりきれるか?」
「うむ」
「明日は、牧へ、何ういう手立をとるな」
「居所を突きとめる」
「何うした方策で?」
「それを聞きに参った」
益満は、煙管を、弄《もてあそ》びながら
「小太郎、怒るな」
小太郎は、黙って頷いた。そして、益満の次の言葉を、不安そうに待った。
「もし――もしだぞ、わしが、それを、断る、と、云ったなら?」
「断る?」
「引受けるかもしれぬ。だが、わしが、牧の在所を探したとして、もしもじゃな、到底、三人や、五人では、歯が立たぬと、判ったなら?」
「それまでに、堅固か、牧の警固は?」
小太郎は、益満を見つめながら、低く、呟くように云った。
「小太、少し、牧の話から外れるがなあ――叡山へ参った時、京で、いろいろ見たこと、聞いたこと――それを、今度、戻って来て、斉彬公の御意見と合せると――わしは、考えた。陥入《おちい》ろうとする絶壁の手前で、成る程と、判った」
「一向に、判らねえ」
と、南玉が、首をぐりぐり振った。二人の浪人は、腕組をして、微笑していた。
「斉彬公が、いつも、仰せられるな。家中に党を樹つべき時ではない、天下は大変な時じゃ、と」
「ふむ」
「わしは、そうかしらと思いもしたが、よくは判らなんだ。勤王の、佐幕のと多事らしいが、何うせ流行《はやり》物じゃ、一時のことじゃ、と思うていた。そして、京へ行って、尊王、倒幕、開国、攘夷、と、いろいろのことを聞きもし、見もしたが、何んの、浪人共の苦しまぎれ、金儲け、と、考えていた。ところが、斉彬公から、いろいろと説かれ、二ヶ月ぶりで、江戸へ戻ると――小太郎、僅か二ヶ月の間に、江戸も変って来た――判るか?」
「判らぬ」
「こういう二人の男が、そのために命を棄てに、江戸へ出て来ている。二ヶ月前まで無かったことじゃ。何んのために棄てるか? 家のためでもない。親のためでもない。天下のために、棄てようと、申すのじゃ。姓名をいって、国をいわなんだが、お二人とも、水戸の方じゃ。尊王、倒幕を、正義と信じ、天下の大勢と見てとって、脱藩した人々じゃ。遊びでもなければ、金儲けでもない。この仁など、酒まで断って――」
「断ったのではない。金がないからじゃ」
と、一人の浪人が笑った。
「これを、小太、江戸の侍と較べてみい。旗本の馬鹿者共の遊興ぶり、暮しぶりと較べてみい。天下は、確かに一新しそうだ。そして、その魁《さきがけ》を為すものは、水戸か、薩摩か? この方々は、水戸の人じゃが、斉彬公を擁立して、天下の勢の赴くところへ、赴かしめようと、この間から、その話じゃ」
「するてえと、つまり、将軍家を、倒そうというんですかい」
南玉は、尤もらしく腕組をして
「由比正雪じゃあるめえし、益満さん、いくら、貴下が、利発でも――」
「駄講釈師の知ったことではない」
「ところが、これで、学文は、和、漢、蘭に亙り――」
「この間も、名越殿と、これで、少し、争ったが、小太、牧を討つのもよい、天下のためも、御家のためも、親のためも、何れも人間の大義にはちがいないが、然し、天下を双肩に荷うのも、おもしろいではないか。何れを主、何れを従とはわしは申さぬ。ただ、牧一人を討つため、無益の日をおくるのが惜しい。牧を追求する暇に、この天下の大仕事へも加わらんか」
「わしには――少し、大きすぎる。今のわしは、ただ、牧が憎い。その憎む心で動くほか、何う教えられようとも、動く気はせん。益満の申し分は、真実であろう。ちらちらと、近頃聞く、尊王、倒幕――それが、本物か、流行《はやり》物か、わしらの若さでは、判断がつかぬ。ただ判断のつくのは、斉彬公のために、悪逆の徒を滅すことは、何よりも、家来としての為すべきことだ、ということだけじゃ――南玉、戻ろうか?」
益満は、微笑したままで、小太郎の顔を、じっと、眺めていた。
「然し――」
と、南玉は、益満に
「これまで一緒に――」
小太郎は、二人の浪人に
「長く、御無礼仕りました」
と、手をついて、立上った。
「小太郎様、もう少し」
南玉が、手を延した時、小太郎は、次の間へ、出てしまった。
お為派崩れ
島津斉興は、大きい眼鏡の中から、皺の重くたれた眼瞼を、しばたたきながら、口を曲げて、手紙を読んでいた。そして、読み終ると、脣を尖らせて、暫く、じっと、前の方を凝視めていた。
「何か――」
お由羅が、横から、いうと
「うむ」
と、その方を振向いて
「又じゃ」
投げつけるようにいって、手紙を、お由羅の膝の前へ抛りつけた。そして、大きい声で
「わしが、こうして、国へ戻っている間に、こそこそと致さずと、江戸在府中に、堂々とすればよいではないか」
お由羅が、手紙を読んでいた顔を上げて
「本当に――」
と、空虚な、相槌を打ったが、少し、読んで行くと
「ま、これは、真実ではござりましょうか」
お由羅の声は、真剣で、眉は心配そうに、歪んでいた。
「わしを、幕府の力で無理に隠居させようなどと――身は、聞かん、聞かんぞ――」
斉興は、頭を振った。そして
「茶をもて」
と、怒鳴った。
齢をとって、少し気が短くなっていたし、道中の疲れも、前年より出ていたし、江戸の邸とちがって、鹿児島のこの邸は、少しずつ好みのちがった――何んとなく、落ちつかぬところがあったし、それから、女中、近習が、目立って、動作に気が利かなかったし――そういった小さいことと、久し振りの拝謁者を、一々引見したから起ってきた、神経的な疲労もあったし――そして、それよりも、もっと、斉興の気持を悪くし、憤らせたことは、斉彬贔屓の人々の多いことと、お由羅を軽蔑した眼で見る人の多いこと、それから、何よりも第一に、自分を隠居させて、斉彬を立てようとしている人間の多いことであった。そして、その国へ戻って間のない時に、江戸邸から、幕府は、何うしても斉彬を当主にして、対外問題に当らせようとしていると、知らせて来たのであった。
「斉彬に、譲りたい。わしは、楽隠居をしたい。うるさいことをしたくないが、時と場合による」
斉興は、独り言のように呟いた。
「ま、何うして、こんなに、御老中方は、斉彬様に、家督を譲らせようと、致しますのやら――又、舶来舶来と、重豪公の真似をして、折角のお金を無くなすことは、眼に見えておりますもの」
「いや、それは、何れは、斉彬の世になるのじゃから、無くなるなら、いつかは無くなるが、西丸留守居の筒井肥前め、早く隠居を致せといわんばかりに、茶壺と、十徳を、二度まで、出しおった。当家は、世子が、二十歳になれば、家を譲るのは、代々の慣わしになっているが、慣わしは、時世と共に、変って行くものじゃ。わしは、わしの家憲で、やって行く」
斉興は、こういって、茶を飲んでから
「それに――」
と、お由羅を、険しい眼で凝視めた。お由羅は、同情するように、よく判ります、というように、眉をひそめて、頷いた。
「それに、宇和島、福岡の親族共が、わしの隠居に同意しおって、内密で、幕府へ策動していよるが、何んちゅう輩じゃ」
「本当に」
と、いった時、次の間の襖の外から
「島津石見様、火急の御用にて、拝謁、願い出られましてござりまする」
と、近習がいった。
「又か――火急の用とは、何んじゃ――よい。通せ」
斉興は、不機嫌に、こういって、火鉢の上へ丸くかがみこんでしまった。
「何んじゃ、火急の用とは?」
斉興は、緋羅紗《ひらしゃ》のかかった、朱塗の脇息へ凭れて、堆朱の手焙へ、手をかざしていた。床の間には、銀製の、西洋人形の立っている置時計があったし、掛軸は、重豪公の横文字の茶掛けであった。
お由羅は、緋羅紗の褥《しとね》の上へ坐っていたし、その側の、硝子《ガラス》の鏡、モザイックの手函、硝子の瓶――そうした調度類は、悉く舶来品であった。
「はい」
島津石見は、それだけ答えて、静かに腕組をした。お由羅は、江戸からの手紙を巻き納めて、斉興の方へ押しやった。
「用事は?」
「例の――秋水一揮党の輩が、赤山靱負殿を大将として、何か、よりより寄っては、密議を致しておりましたが、殿が、御帰国遊ばされて以来《このかた》、急に、会合が劇しくなりまして、何か企んでおります模様でござりますで、手をつくして、調べましたところ――」
石見は、俯向いて、
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