るし――とうとう斬られちまやあがるし――お前は、己のために、随分働いてくれたが――こうなるのも、前世の報いだろう――いや、もう巾着切をよせって、神様のお告かも知れねえ。妙な侠気《おとこぎ》が出たり、深雪が好きになったり――)
 と、思った時、頭が、急に堅くなって、後方へ引倒されるように感じた。
(いけねえ。ここで、気を失っちゃあ、何んにもならねえ)
 庄吉は、頭を下げて、じっと耐えた。
(腕の一本や、二本――こん畜生め、何んでえ。こんなくらいで――ざまあみろ、ざまを)
 庄吉は腕を斬った調所へ、ざまあみろ、と罵ってみたが、何んだか、それは、自分へも罵っているように思えた。
(女なんかに惚れゃあがって、大事な腕を斬られて、ざまあみろ。ここで死んじめえ)
 と、頭の隅で、呟くものがあった。
(馬鹿吐かせっ。ちゃんと、小腕大明神が、書類を握ってらあ。せめてもの申訳に、この腕にこの書類で一仕事させてやらなけりゃ、この腕だって冥途へ行って、俺に合す顔がねえや)
 庄吉は、斬られた腕に、脚が生えて、よちよち歩いて行くのを空想してみた。

(こゝで死んじゃあならねえ)
 何んだか、身体が冷たくなって行くようであった。疵口だけが、万力で、締めつけられているように痛んだ。
(お天道様の出ないうちに、ここから、逃げ出さなくちゃあ――)
 男達の怒鳴る声、荒い足音は、すっかり無くなって、女中が、寝間着のままで、時々、うろついて出て来るだけになった。
(今の間だ)
 庄吉は、炭俵へ指を突っ込んで、炭の粉を、鼻の下へ、頤《おとがい》へ、なすりつけた。そして、立上ると、少し、頭がふらつくようで、一寸よろめいた。そして、暫く炭俵を掴んで突っ立っていた。斬り落された腕が、懐の中で、突っ張っているので
(寺子屋じゃあねえが、松王丸の倅は、お役に立ったぞよだ)
 と、書類を、死んだ腕から取上げて、腕を捨てて行こうと――小腕の指を披げようとしたが、書類を固く握りしめたまま、左手の指だけの力では、開かなかった。
(一心凝めて握ってやがらあ)
 と、思うと、死んだ、自分の子が、大事な宝を握りしめているようで、我子のようなその腕から、書類だけを取って、その腕を捨てて行く気にはなれなかった。
 庄吉は、少しずつ出てみた。誰も居なかった。だが、いつ、何処から、誰が、出て来るか判らなかった。見つかったら、常の庄吉で無くなっている庄吉は、それまでであった。
(手の無いのを胡麻化さなくちゃあいけねえが――)
 庄吉が、土間へ、じいっと、出た時、一人の女が、店の間から、小走りに、奥の方へ
「未だ見つからないんだってさあ。何処へ逃げやあがったのだろうねえ」
 と、云いながら、走って来た。
(ここへ逃げやがってらあ)
 庄吉は、そっと炭俵へ凭れて、だんだんとぼんやりしてくる頭の中で、呟いた。そして、女が、奥へ行ってしまうと、目を閉じた。
「庄吉」
 遠いところで、自分の名を呼ばれたので、眼を開くと
「判るか?」
(益満さんらしいが――)
 と、その声から感じた。そして、そう感じた瞬間
(助かった)
 と、思うと、声いっぱいに、泣きたいような、嬉しいのか、悲しいのか判らない気持が、起ってきた。そして
「ええ」
 と、頷きながら、自分の横に立っている黒い影に
「あっしゃあ、駄目だ」
 と、呟いた。
「今、手当をしてやる」
 益満が囁いた。
「ええ」
 益満へ、凭れかかりたかった。子供が、母親へ甘えるようにしたかった。
(こんなに、深雪を思っているんですよ。益満さん)
 と、いって、益満から背を撫でてほしかった。益満は、庄吉の二の腕の上を縛り直してから、疵口を解いて
「何を盗った?」
「何んだか――親爺の大切にしているもんでさあ」
 膏薬を貼ったらしく、斬口がひやりとした。強い臭が鼻を突いた。益満が貼ってくれたので、何んだか、効く膏薬のように感じた。
「書類か? 何うした、何処にある?」
「握ってまさあ」
「握って?」
「斬られた腕が――」
 庄吉の左手に握っている腕を、益満が、さぐり当てると共に
「えらいぞ、庄吉」
 と、低く、だが、力強い声で囁いた。
「ええ」
 と、いって、庄吉は、涙を流した。
「出来《でか》した――見上げたぞ」
 庄吉は、微かに、すすり上げていた。

  秘呪相争

 息災、延命の護摩壇は、円形であった。中央に八葉の蓮華を模した黄白の泥で塗った火炉があり、正面を北方として、行者は、南方の礼盤上に坐るのである。
 右手には、塗香と、加持物、房花、扇、箸、三種の護摩木を置き、左手には、芥子《けし》、丸香、散香、薬種、名香、切花を置いてある。行者の前の壇上には、蘇油、鈴、独鈷《どっこ》、三鈷、五鈷、その右に、二本の杓、飯食、五穀を供え、左手には嗽口《そうこう》、灑水《しゃすい》を置いてあった。
 部屋の壁には、青地に四印|曼荼羅《まんだら》を描いた旗と、蓮華広大曼荼羅を描いたものとを掛けて、飯食を供し、旛《はた》の上方には、加治木玄白斎が、自分の血で、三股金剛杵を描き、その杵の中に、一宇頂輪の真言を書いた。玄白、自らの生命を賭した呪術である。
 和田仁十郎以下の門人達は白衣《びゃくえ》を着て、その旛の下、壇の周囲に坐して「大威怒鳥芻渋※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]儀軌《だいぬちょうすうじゅうまぎき》経」、「仏頂尊勝陀羅尼」、「瑜伽《ゆか》大教王経」、「妙吉祥平等観門大教主経」等の書巻を膝の上にもって、黙読していた。
 加治木玄白斎は、白衣をつけて、暫く、座所で瞑目してから、塗香を、三度ずつ頂いて、額と胸とへ塗りつけた。それから、右手の護摩木長さ一尺二寸、幅三指の――紫剛木、旃壇《せんだん》木、楓香木、菩提樹を取って、炉の中へ積上げ、その上に、小さい杓で、薫陸《くんろく》香、沈香、竜脳、安息香の液をそそいだ。そして、和田が、大威徳天の前にゆらめいている浄火からうつして来た火を差出したのをとって、護摩木の下へ入れた。そして、口で
「※[#「田+比」、第3水準1−86−44]廬遮那《びるしゃな》如来、北方不空成就如来、西方無量寿仏、金剛|薩※[#「土へん+垂」、第3水準1−15−51]《さった》、十方世界諸仏、世界一切の菩薩、智火に不祥を焼き、浄瑠璃の光を放ち、諸悪鬼神を摧滅して、一切の三悪趣苦悩を除き、六道四生、皆富貴延命を獲させ給え、得させ給え」
 と、誦した。そして、少しずつ燃え上ってくる火を見て
「火相、右旋――火焔直上」
 と、叫んで、合掌した。
「火焔の相を象耳に、火焔の色を大青宝色に、火の香気を優鉢羅《うばら》華香に、火の音を、天鼓になさしめ給え。南無大日如来、お力をもって、金翅難羅竜を召し、火天焔魔王、七母、八執曜、各々力を合せて御幼君のために、息災、延命の象を顕現なさしめ給え」
 こういってから、もう一度、塗香を塗り、香油をそそぐと、炉の中の火は、焔々として燃え上り、紫色の煙が、天井を這い出した。
 門人達は、低く、経文を誦して、師の呪法を援け、玄白斎は、右手に、杓を、左手に、金剛|杵《しょ》を執って、瞑目しつつ、無我無心――自ら、日輪中に、結跏趺坐して、円光を放ち、十方の諸仏、悉く白色となって、身中に入る、という境地で入りかけた。
 焔は、青色を放って燃え上りつつ、少し左に、右に揺れながら、時として、真直ぐに立ち、香を放ちつつ、いろいろに聞える音を立てた。
 暫く、瞑目していた玄白斎は、眼を開くと共に、大音に
「焔の相は?」
 と、叫んだ。火焔は、大きく象の耳のように、ひらひらと燃え上り、消えては、同じ形に燃え上った。門人達は、誦経の声を少し大きくした。そして、一斉に、焔を見た。

 玄白斎が、秘呪を行っている次の間には、家老島津壱岐等の人々が、言葉静かに、お由羅への対策を話していた。それら、斉彬擁護派の人々は
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家老     二階堂|主計《かずえ》
町奉行、物頭 近藤隆左衛門
物頭     赤山靱負
町奉行兼物頭 山田一郎右衛門
船奉行    高崎五郎右衛門(高崎正風の父)
屋久島奉行  吉井七郎右衛門
裁許掛見習  山口及右衛門
 同     島津清太夫
兵具方目付  土持|岱助《たいすけ》
広敷横目付  野村喜八郎
郡見廻    山内作二郎
地方検見   松元一左衛門
琉球館掛   大久保次右衛門(大久保利通の父)
広敷書役   八田喜左衛門(後の八田知紀)
郡奉行    大山角右衛門
諏訪神社宮司 井上出雲守
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達で、無役、軽輩の人々は、別に玄関脇の部屋に集まっていた。
 次の間からは、玄白斎の振っている金鈴の音が、時々微かに洩れて来た。
「わしは――追つけ、斉興公が御帰国になろうから、その砌に、吉利、平、将曹、豊後などを、邸ぐるみ、大砲にてぶっ壊すのがよいとおもう――」
 近藤隆左衛門は、こう云って、懐から一通の書面を取出した。
「これは、斉彬公からのお便りじゃ。読み上げる――
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将(将曹)之調(調所)より勘弁のよし、尤もに候、将は随分と心得も有之ものにて御座候|而《て》、悪《にく》み候程のものにて之無様に被存候、御前(斉興公)之御都合之言に言れぬ事も有之、将之評判|無拠《よんどころなく》請け候儀も有之候、近(近藤隆左衛門)等の如く悪み候而は、不宜《よろしからず》、此処はよく心得可申候――
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 御大腹の君として、たとい、将曹如き奸物にもせよ、こう仰せられるのは、われら家来として、ただ、感佩《かんぱい》の外に無いが、事による。斉彬公が、公御自身の命を縮め、子孫を絶さんと計るこれら奸悪のものに対して、こう御存念なさっておる以上、斉彬公のお力を借りることに望みは無い。その望みが無い以上、君側の奸は、われらの手で討つ外にない。而《しか》して、われらの手で討取る以上、われらも腹を掻っ切る代りに、彼奴等も残らず殺さねばならぬ。それには夜陰に乗じて邸ぐるみ、大砲にて砕き倒すがよい――」
 と、いった時、鈴の音が、人々の耳に、明瞭に聞え、つづいて
「火相は、これ、煽がずして自然に燃え、無烟にして、熾盛、諸障蔽うことなし」
 と、叫んだ玄白斎の声が響いた。人々は、沈黙して、次を待った。
「右旋して、日輪の魏々として照映する如く、色相金色にして、紅霓《こうげい》、雷閃の如し。南無、延命、息災の呪法を成就せしめ給え――香気如何」
 それは、壮烈な玄白斎の声であった。
「祈祷も成就しそうだのう」
 壱岐が、こういった時、赤山靱負が
「大砲打ち込もよいが、来春の、吉野牧場の馬追を好機として、久光公を鉄砲にて射取ったなら?――禍根は、この君が在す故だからのう」
 誰も、黙って、答えなかった。

 赤山靱負|久普《ひさひろ》は、一所持と称される家格の人であった。一所持、一所持格といえば、御一門四家につづく家柄であった。
 御一門とは、重富、加持木、垂水、今和泉の領主で、悉く、宗家の二男の人々の家であった。それに次ぐのが、この一所持で、三男以下の人々の家柄を指すのであった。靱負は、即ち、城代家老、島津和泉久風の二男で、日置郡日置郷六千五百六十四石の領主である。そして、この靱負の日置家が、筆頭で、花岡、宮の城、都の城よりは、上席の身分――この一座の中では、抜群の家柄の人であった。その靱負が
「久光を、討取ろう」
 と、云い出したのであるから、暫くは、誰も答えなかった。明らかに、禍根は、久光がいるからではあったが、この陰謀は、久光の手から起っているものではなかったし、久光は、人々の主君であった。何うあろうとも、主君へ鉄砲を向けることは、出来難いことであった。然し、靱負から見た久光は、人々の見た久光よりもっと軽かった。靱負自身としては、大してちがいのない地位の人であった。だから、英明なる斉彬のために、久光を討つことぐらいは、靱負としては、大したことでないと考えられた。
 人々の沈黙しているうちに、行事はだんだん進んで行ったらしく、読
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