かって、引いたと思った刹那に、すぐ、切返して来る早業――たたっと、退ると
「ええいっ」
 刀を立てて、頭を引いたが、一髪の差だった。相手の横鬢から、血が飛んで、熊笹へ、かかると
「突なりいっ」
 八郎太は、若者の稽古のように絶叫して、相手の胸へ一突きくれると、血の飛ぶのを避けて、右手へ飛び退った。

「死骸は、その辺へ隠しておけ――」
 八郎太が、杉木立の中の鬱々と茂った草と、笹の中を指さした。そして、小太郎が、死体へ手をかけて持上げたのを見て
「一人でよいか」
 小太郎は、生暖かい足を掴んで
「これしきの――」
 と、見上げて、微笑した。そして、両脚を持って、逆に立てた。血が、土にしむ間も無く、細い流れになって、ゆるやかに下り出した。小太郎は、はずみをつけて、一振り――二振り――ざっと、笹が音立てて、どんと、地へ響いた。八郎太は一人の襟を掴んで、少し引きずったが、手に余ったらしく
「力業は――いかん」
 と、腰を延した。そして、鞘へ納めた刀を、もう一度抜いて、刃こぼれを調べた。
(十人とすれば、残り八人――)
 小太郎は、血に塗れた手を紙で拭いて
「ここまで見張が出ておりましては、用意なかなか粗末でござりませぬな」
「うむ――」
 と、頷いてから
「腕が上ったのう」
「父上も、見事でござりました」
「わしは、せっかちでいかん。じわじわ来られると、苦手じゃ」
 話を終ると、冷たい風と、淋しすぎる静けさとが、薄気味悪く、二人に感じさせた。今、人を二人まで、この静かな山の中で斬ったとは思えなかった。
「頂上は、余程あると見えるの」
 左手は、熊笹ばかりの山で、径は、左へ左へ行くが、四明の絶頂は、少しも、現れて来なかった。だが、少し登ると、微かに、人声が聞えた。それは、二人でなかった。
「父上、話声が――」
 二人は、立止まった。八郎太は、黙って、鎖鉢巻を当てた。そして、その上から、手拭をかぶった。小太郎も、それに見倣《みなら》った。右に、左に折れ曲る急坂を、二人は、静かに、ゆっくりと
「急ぐでないぞ、呼吸が乱れては闘えぬぞよ」
 と、いいつつ――それでも、時々、肩で息をしながら登って行った。小太郎が、目を上げると、遥かの、熊笹の中に、半身を見せて、一人の侍が立っていた。小太郎が、じっと凝視めると、向うも、こっちを眺めていたが、何か合図をしたと見えて、すぐ二人になった。そして、二人になったかと思うと、右手の山蔭へ消えてしまった。
「居るのう」
「半町――」
 と、いった途端
「待てっ――待てっ」
 遠くで、人影も見せずに、こう叫びながら――然し、すぐ足音が、寂寞を破って、乱れ近づいた。小太郎も、八郎太も、羽織を笹の上へ棄てた。足場を計った。二人で対手をはさみ討てるように、左右に分れて、径に向い合った。すぐ曲り角から、四人の姿が、現れて、一人が、こっちを見ると
「何故、登った、降りろ」
 と、叫んだ。四人とも、襷がけで、支度をしていた。小太郎は刳形へ、手をかけて、親指で、鯉口を切った。
「これは、なかなか、手配りがついておる。前だけでなく、左右、後方へも、気を配らんといかんぞ」
 と、八郎太が、注意した。

「斬れっ」
 一人が、すぐ刀を抜いた。
「待て待て」
 四十余りの、紬《つむぎ》の袷に、茶の袴をはいたのが、人々を止めて、前へ出た。そして、二人を左右に見て
「この下に、見張の者が、二人、居ったであろうがな。それを、何んとした?」
 八郎太が
「さあ――何んとしたかのう」
 三人が
「斬れっ」
「面倒じゃっ」
 と、叫んで、八郎太と、小太郎とに迫って来た。
「そうか――目といい、支度といい、二人を斬捨てて来たに相違ない。人を殺した以上、己も殺されるということは承知であろう。御山を汚した以上、御山の罰を受けるということも承知であろう――」
「天童、貴公の説法は、了えんでいかん――さあ、参れ」
 一人が、八郎太へ、正眼につけた。一人が、それを援けて、右側から、下段で迫って来た。
「小冠者っ」
 天童は、刳形へ手をかけて、ずっと、鞘ぐるみ刀を――丁度、柄頭が、自分の眼の高さに行くまでに延した。古流居合の手で、所謂鞘の中に勝つ、抜かせて勝つ、という技巧であった。こっちは飽くまで抜かずに居て、対手の抜いて来るのを待っていて勝つという方法であった。
 天童を助けて、一人が、上段に攻めて来た。二人とも小太郎を侮って、一挙に討とうとする型であった。小太郎は、腰を落したまま、動きも無く、音も無く、声も無く、影の如く構えていた。それは真剣の場数を踏んできた賜物で、その冷静さは、天童の傲《おご》った心を脅かすに十分であった。
(侮れない)
 と、天童が感じた瞬間、天童は、固くなった。怯け心が少し、疑いの心が少し――最も、剣客の忌む、そうした心が起って来た。
「やあ」
「おおっ」
 八郎太の方に、誘いの懸声が起った。それに引込まれたように
「やあ」
 と、上段に構えて、じりっと、進んだ時、小太郎は圧されたように一足引いた。上段の刀尖が、手が、ぴくぴく動くと、次の瞬間
「ええいっ」
 見事、小太郎の誘いに乗って、大きく一足踏み出すと、きらっと、白く円弧を描いて、打ち込む――その光った弧線が、半分閃くか、閃かぬかに
「とうっ」
 肚の中まで、突き刺すような、鋭い気合、閃く水の影の如く、一条の白光、下から宙へ閃くと――刀と、片手が、血潮の飛沫と共に、宙に躍った。
「ええっ」
 その刹那、天童の手から、迸《ほとばし》り出た刃光一閃、小太郎の脇へ、入るか、入らぬか、八郎太が
「危いっ」
 と、絶叫した時、天童は、たたっ、とよろめくと、刀を杖にして踏み止まったし、小太郎は、熊笹の中へ転がって、天童の胸へ刀をつけていた。

 小太郎は、鹿が跳躍するように、跳ね起きた。そして、刀を構えて
「如何っ」
 と、叫んだ。天童は、右手に突いた刀へかけている手を、刀ぐるみぶるぶる震わせていたが
「無念」
 呟くように言葉を抛《な》げつけて、小太郎を睨むと――膝をついてしまった。そして、左手を、土の上へついて、大きい息を、肩でしながら
「今――今、一合せ」
 そういって、刀を地へ置いて、用意していた血止め、繃帯を、懐から取出した。そして、静かに、顫える手で、膝を探って行くと、べとべととした血潮、開いた創口《きずぐち》――眼を閉じて、指を――全身へ響く痛みを耐えて、創口へ入れて行くと、骨へ触れた。尖った骨であった。
(骨を断たれた)
 天童は、その瞬間、蒼白になって俯向いてしまった。暖かい血が、指の周囲から、外へ流れ出るのを感じた。眼暈《めまい》がして来た。小太郎への無念さが、身体中いっぱいになって来た。天童は、手早く、太腿を縛った。そして、小太郎の立っているところを見ると、小太郎は、もう其処にはいなかった。
「ああ」
 断末魔の叫びが聞えた。天童が、その方へ眼をやると、小半町も逃げのびた浪人の一人が、崖のところへ、小太郎に追いつめられて、右手で刀を突き出したまま、左手で、顔を覆って、斬られるがままに斬られていた。
「卑怯者」
 と、いう小太郎の微かな叫び声が、聞えてきた。
「ああっ――あーっ」
 首をちぢめて、手を顔へ当てて、崖に凭れたまま無抵抗になっている前で、小太郎は大上段に、振りかぶっていた。
「小太っ」
 と、八郎太が叫んだ。その瞬間、血煙が立って、突き出ていた刀が、地上へ落ちた。浪人は、岩角から崩れるように、背を擦りながら潰えてしまった。小太郎は、血刀を下げてこっちへ戻りかけた。
「ううっ――うむーん」
 味方の一人の唸《うめ》き声が天童の後方に聞えていた。熊笹の中で――すぐ、後方で聞えていた。天童が、その方へ振向くと、八郎太の脚が、すぐ眼の前のところにあった。天童は、右に置いてあった刀を取上げて、少し、身体を斜めにした。そして、構えると、その瞬間
「父上っ」
 小太郎が、絶叫して、走り出して来た。八郎太が、小太郎の叫び声と、その指さすところを、ちらっと、見た途端
「おのれっ」
 飛び退きざまに、天童へ斬り下ろしたが、一髪の差があった。天童の刀が、八郎太の足へ届いていた。八郎太は、よろめくと、すぐ、笹の中へ、仰向きに転がった。
「おいぼれっ。覚えたか」
 天童が、灰色の顔で、八郎太の転がっている身体を睨んだ時、小太郎の足音がした。天童が、振向いて、周章てて構えるも、構えぬもなかった。
「うぬっ」
 小太郎の絶叫と共に、天童の頭に、ぽんと鈍い音がして、赤黒い味噌のようなものが、溢れ出した。天童は、刀を構えたままで、頭をがっくり下げた。小太郎は
「馬鹿め、馬鹿め」
 と、つづけざまに叫んで、天童の肩を、斬った。右腕が、だらりと下って、切口が、木の幹の裂けたように、真赤な裂け口になった。小太郎は、それを足で蹴倒した。血が、どくどく湧いて、土の上へ流れた。

 八郎太は、起き上って、笹の上へ脚を投げ出して
「心配するな、傷は浅い」
 と、云った。だが、すっかり疲労しているらしく、刀を側へ置いて、両手を草の中へついて、肩で溜息をしていた。
「御手当を――」
「うむ。大丈夫か、上の方は」
「逃れた奴はござりませぬ」
 八郎太は、懐へ手を入れた。小太郎は、父の横へ片膝を立てて、父の取出した布をもって
「疵所《きずしょ》は?」
「膝の上下――その辺一面に、ずきずきしているが」
 小太郎は、袴の脇から手を入れて疵所を探った。そして、小柄《こづか》で、袴を切り裂いて、手早く、手拭で太腿をきつく縛った。いつの間にか、腓から、向う脛も、探ると、べっとりと、指が粘って、脚絆の上へも、微かに血が滲み出していた。印籠の口を開けて、丸薬を出して
「気付」
 と、父の掌へあけて置いて、足の疵所へ、脂薬を布と共に当てて繃帯した。八郎太は、腰の竹筒から、水を飲んで、小太郎が、手当を終って脚から手を放すと
「水盃」
 と、云って、蒼白めた顔に、微笑して、竹筒を差出した。小太郎は、父の顔を見た。
「いろいろと、苦労させた――わしの子にしては出来すぎ者じゃ。斉彬公が、いつも仰せられた、身の代になったなら取立ててやるぞ、と――今まで、わしは、何一つ、お前に、やさしい言葉もかけなんだが、心の内では――心の内では――」
 八郎太の声が湿ってきた。小太郎は父を見つめている内に、不意に、胸の奥から押上げてくる熱い涙を感じた。
「――喜んでいたぞ。この疵を受けた上は、牧を斬ること思いもよらぬ」
「父上、六人斬りました。残りは二人か、三人」
「さ、それは判っておるが、脚の自由が利かんでは覚束ない。お前が、二人前働いてくれ。わしは、それを見届けて、腹をしよう」
「父上、手前一人で参りましょう。ここに、暫くお待ち下されますよう」
「小太、わしを武士らしく死なさぬと申すのか。昨日も、今日も、犬死するな、と、あれまでに申したのが、判らぬか、わしを犬死させるのか」
「胆《きも》に銘じておりますが、父上が、此処で、切腹なされても、矢張り犬死では――」
「思慮の無いことを申すな。これだけの人数を斬って、誰が、その下手人になる? お前と、わしと二人が、下手人になって、斬罪に処せられて何んになる。わしが、ここで、腹を切って、下手人となれば、お前は助かる――母もある。妹も多い。又、お前は、わしの志を継いで、御家を安泰にし、又、仙波の家も継いで行かねばならぬ」
 八郎太は、こう云って、刀を杖に、立上りかけてよろめいた。小太郎が、支えて、同じように立った。
「それ程の理《ことわり》を弁《わきま》えぬ齢でもあるまい」
 小太郎は、父の慈愛と、父の武士気質と、父の意気とに、顫えていた。
「水盃が厭なら、血を啜《すす》るか」
 八郎太は、左腕を捲った。其処にも、疵が、口を開けていた。
「救からぬ命じゃ。牧の前にて、正義の徒の死様を見せてくれよう。小太、肩を貸せ。これでも未だ、へろへろ浪人の一人、二人を対手にしておくれはとらぬ」
 八郎太は、血に曇った刀を右手に提げて、小太郎の肩へよりかかった。
「歩け。何を泣く」
「はい」
「山の上へ気をつ
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